天涯門への道

2004年7月6日 空蝉
 星の合図に 誘われて
 ぼくは一人で 旅立った

 海のさざめく 海岸で
 ぼくらが出会った あの場所へ
 
 砂地のざらつきも
 昼間の慌しい人ごみも

 もう ぼくにはわからない
 感じ取れない

 ああ こんなぼくを
 誰か 悲しむ人はいるのだろうか

 地上にいた時は 
 いつも空ばかり見ていたぼくが

 空の住人になった瞬間
 大地の方ばかりに目を向けている

 哀しい カナシイ

 なんという遅滞だろう
 今から次の世界へと旅立とうとしているのに

 なんという孤独だろう
 今から親しかった人達とばかり再会できるというのに

 どちらからも引っ張られ
 ぼくは 二つに引き裂かれそうな気分になった 

 ああいっそこのまま 
 ぼくは 空と大地をつなぐ 雨となりたい

 涙と共に大地に降り立っては
 空虚と共に天へと昇る 一雫の雨粒となりたい

夏の便り

2004年7月1日 空蝉
 今日と言う日を乗り切れば また一歩私は成長する

 そう自分に言い聞かせて 私は頑張ってきていた

 それでも どうしようもならない日が来るとは

 私の先には 私と同じように傷だらけになりながらも

 ゆっくりと静かに突き進んでいる彼の姿が見える

 それを見ていると 辛くなってくる

 私が

 私自身が

 そんな時 私は思わず心を放り出し

 それを温かく包んでくれる この人へと身を委ねる

 夏の朝ぼらけ

 浴衣の着崩れをなおそうとして それをやめ

 私は縁側から 家の庭をぼんやりと眺める

 そして足を崩したまま ゆっくりと目を閉じ

 緩やかに団扇を扇ぐ

 ふんわりと やんわりと

 ぽっかり空いてしまった穴は 二度とふさぐ事はできない

 昼間は賑やかな この街の朝の静寂

 この場所ですら こういう空間が垣間見れたのだとしても

 それが私に何かを思い至らせるものでもない

 私は縁側にごろんと 横たわった

 はしたない 誰かに見られるかもしれない

 一瞬 そういった気持ちもはたらいたが

 そういった気持ちも 私の体と共に
 
 さらさらさらと消え去って行くかのように感じていた

 何年ぶりだろう 過去の事に思いを馳せるのは

 私は初恋の相手の事を思い出していた

 夏の田舎町にとって唯一といってもよいイベント

 町内花火大会

 ドーンという大きな音と共に

 煌びやかな かがり火のような 

 種々の色の点の集まりが表れる時だけ

 私とあの人は お互いの顔が見えた

 それでも 私は恥ずかしかった事を覚えている

 あの人もずっと黙っていた

 どうしてあの時 お互いに あんなに積極的になれたのだろう

 しばらくぶりに私は不思議に思い さらに思い出してみる

 あの時 私は 白地に花をとりあわせた浴衣を着ていた

 顔に二つ三つにきびができて あの人に会うまで

 とても気になって嫌われないか どきどきしていた

 でも 髪をお母さんに念入りに結ってもらって

 少し自信がついたから あの日は行けたんだと思う

 あれ?

 ここまで来て 私は肝心な事に気づいた

 あの人の顔を思い出せない

 実際 話をすることはあっても 

 きちんと顔を見合わせる事が殆ど無かったからだろうか

 それはあの人も同じはずだ

 あの人 きっと 私の顔覚えていないだろうなあ

 私は ふふっ と笑った

 まるで宝石の無い指輪のような 私の記憶に

 やや嘲りをこめただけなのだが

 これが 私の記憶に 思わぬ菫の王冠を被せてくれた

 

 
 ことばだ

 あの人の お世辞にも 流暢とは言えない

 途切れ途切れのことば その中に

 昔の私は何かを感じていたのだろう

 そうはっきりと気づいた筈なのに 

 そのことばをきちんと思い出そうとしても

 やっぱり霞の先に見える山のように ぼんやりとしている

 でも それがかえって 私の全てをたおやかにした

 私は寝転んだまま体をくるりと回転させ 室内を見る

 この人は私に背を向けて 静かに寝息を発していた

 遠巻きに見るこの人のその姿に 私はどこか可笑しみを覚え

 再び ふふっと 笑った
 

空の背景

2004年2月16日 空蝉
 毎日の嫌な学生生活
 僕がいつもポツンとしているのを見て
 あいつは よく話しかけてきていた

 僕が 悪く思わなかったのは
 決して 何かを期待するのでもなく
 させるのでもなく 
 さりげなく 僕に接してくれた事だった

 そんなあいつに 好きな子ができた
 そんな事には全く興味が無かった僕は
 あいつが どういう子を好きになったのか
 わからなかったし わかろうともしなかった

 ある日の放課後
 僕は いつものように 拘束された
 この世界から 早く逃れようとしていると
 とある女の子から 別棟へと呼び出された
 
 どういう人間なのかはおろか 顔も
 いまいち はっきりとした記憶が無い

 それなのに 彼女は 
 どぎまぎしながら手紙を僕に渡し
 足早に去っていった

 中身は 僕には見る気がしないものだった

 それから数日後
 あいつも 意を決し 好きな子へ手紙を
 送ったようだった
 そのせいか 勉強に全く手がつかず
 授業中に ちらっと眺めてみると
 あさっての方向をずっと眺めていた

 その日の最後の授業は別棟で理科の実験だった
 遅くなった為 他の人間は放課していた
 その途中で 僕は 彼女に出会った
 彼女は僕に気づかずに 他の女性と
 何かしらの紙を回し読みして 
 にやにや していた

 そして その内の一人が 嘲り笑った

 僕は ぞくっとした
 
 遠巻きに見えた その紙は あいつが
 書いていた手紙だったからだ

 僕は 醜悪な生物を見たかのように
 思わず目を背け その場を忌避した

 急いで家に帰り 僕は救いを求めるかのように
 勉強をし始めた
 しかし 全くといって良いほど 
 それは進まなかった

 しばらく 途方に暮れた後
 僕は 恐る恐る 彼女からの手紙を
 じっくり 見てみることにした

 そこには きらびやかで 楽しげな
 美辞麗句が並べ立ててあった

 そのことが かえって 僕の嫌悪感を
 増幅させた

 彼女と その友人が いやらしく笑う顔
 が思い出される

 僕は思わず彼女の手紙を破り去った

 翌日
 
 僕はあいつに合わす顔が無かった

 何も知らないあいつは いつものように
 僕に話しかけてくる

 僕は それを拒否した
 いや それを受け取る資格が今の僕には
 無かった

 
 それから 僕は ふたたび一人になった
 今日も こうして屋上から 空を眺めている

 晴天の青空は 何にも増して綺麗な姿を見せる
 なのに 台風の際の 荒れ果てた姿と言ったら!

 いつもは 空の親しみしか憶えていなかった
 僕の心に その日から 汚濁した乱雲の空の
 姿が映し出されるようになった

万華鏡

2004年2月15日 空蝉
 くるり くるり くるり

 幼子だった彼女は 
 万華鏡を手で動かしながら
 楽しそうに そう呟く

 望遠鏡を覗いているかのように
 高々とその筒を見上げている

 どれ ごらん

 僕は 彼女があまりにも
 楽しそうにしていたから
 夢中にしていたから
 思わず一緒に見たくなった

 だ〜め みれないもん

 万華鏡は一人だけ
 その人だけの世界

 煌びやかに姿を変える
 束の間の幻想世界

 そう それは
 心象風景のように
 他人とは共有できない
 孤独の世界

 それ故に美しい世界

 

 その頃は よもや彼女が
 こういう事になるとは
 思いもしなかった

 
 人里離れたサナトリウム
 彼女は美しい女性へと
 変わっていた

 透き通るような美しい肌は
 そのまま別空間へと通り抜けそうで
 僕はぞっとして僕の肌を見た

 僕は その世界へと誘われようもない
 血色の良い 卑俗な肌をしている
 それがかえって安堵感を引き起こす

 あはははは おじさん おじさんだぁれ

 彼女は焦点が合わず そういった後
 何も無い空を 手で舞った

 幽かに 金色の蝶がいるような気がして
 僕は 思わず首を振った

 あら おじさん おじさんも 見えるの

 僕は黙って 彼女の舞を眺める
 見続けていると 彼女自身が何か別世界の
 生物のように見えてきだす

 しかし その思いは ずっと続かなかった
 ずっと続くには 僕は年を取りすぎていた

 これ…
 おみやげ

 僕は 古ぼけた真鍮の万華鏡を彼女に差し出す
 
 彼女の喜びようは 大きくなった今でも
 昔の面影がありありと見えた

 わぁ きれい

 長い髪をなびかせて 彼女は体全体で
 喜びを表す

 その刹那 彼女はぴたりと立ち止まった

 あれっ あれっ…

 彼女の頬からぽつりぽつりと雫が流れ落ちる

 もはや声は期待できない
 あるとすれば それは 彼女のすすり泣く音
 
 ただひたすらに沈黙を保ち
 彼女は何も無い この個室のベッドに座り
 万華鏡を眺めている

 
 ただ この万華鏡だけが 彼女のこれまでの人生を
 その真実を 教え始めたのだろう

 彼女の涙はとめどなく続いている
 
 僕はゆっくりと 彼女から視線をそらす
 そしてかみしめるように目を瞑り 
 彼女と過ごした過去を思い出す

 その中では彼女は 永遠に笑っていたはずだった

 しかし 今まさに万華鏡を見ている彼女と
 私の中にあった彼女がくるくると混ざり合い
 そして 僕の中で モザイクのように
 はっきりしなくなった

 ああ どうして どうして

 万華鏡は一人だけ
 その人だけの世界

 煌びやかに姿を変える
 束の間の幻想世界

 そう それは
 心象風景のように
 他人とは共有できない
 孤独の世界

 それ故に美しい世界
 
 

 くるり くるり くるり

 伏目がちに頑丈なドアを眺めながら
 壊れた鳩時計のように
 彼女は同じ言葉を刻み続けていた

 

忌諱

2004年2月12日 空蝉
 愚か者と会話をする事
 意味も無く笑いを浮かべ話してくる人間
 
 堂々巡りの言ばかりで何の解決も生み出さない輩
 自分の相手をして欲しいと頼ってくる浮気者

 やたらと正義感を振り回す偽善者
 寝た男によって自分の株が上がったと思っている勘違い女

 権力を否定しながら大衆という塵芥の集団で権力を創造する没個性者
 病気と名乗りすぐ逃走する精神的弱者
 
 これらは何も生み出さない
 それどころか自らの充足の為に
 母なる自然を破壊しつづける

 ああ なんと醜き人間だ

 今しがた 最も醜き人間を見てきた
 なんと その者はこれらを全て肯定する人間であった
 しかもこれら全てを受容する人間だったのだ 
 
 「この人間とは」

 私を最も忌諱に触れさせる命題を
 導かしめた人間の存在に触れた途端、
 私はピストルで自らの頭を撃ち抜いた

 奴らが私の思想に染まり汚れたくないと言うのと同様に
 私も奴らの思想で私という存在を穢したくはない

高級品

2004年2月8日 空蝉
 錆びた真っ赤なドアを開けたら
 翡翠の色をした 天窓が見えた

 翼をはばたかせ そこに向かおうとすると
 奈落の底へと 落ち続けた感じがした

 ああ なんて幸福だ

 沈黙という純粋さが 誘惑を与えてくる
 貶めようとしているくせに
 虚空という静謐さが 往生に見えてくる
 寂しさの裏返しのくせに

 億万光年も離れた 冥王星ほどの小ささの僻地で
 僕は リュートを奏でている

 この瀕死の惑星に 生の胎動を与える為に
 彗星の運転手に 美しい地球へと
 連れて行ってもらう為に