past-time(201):
2012年12月18日 Past-time努力しても努力しても努力しても。
もう取り戻せない。
やればやるほど、嫌というほどその事がわかる。
その瞬間に訪れる、絶望・無力感。
投球の合間に彼から発せられる何の抑揚もない白い溜息が、
かえって色濃い現実味を帯び、生々しく私の心臓を突き刺す。
話しかけることすら憚られる空間。
細雪の降る早朝の、誰もいないグラウンドで私はいつも彼を見ていた。
恵まれた体格も才能もあるわけではなく、彼もそれを自覚していた。
彼が、この秘密の特訓を始めたのは高校2年生の7月。
この高校になぜこの人が、というような将来有望とされていた先輩。
先輩のおかげで地区大会決勝まで勝ち上がった私達の高校のベンチの片隅で、
彼はやっとの思いで手に入れた真新しくて大きく見える18番を背負って
戦況を見つめていた。
その先輩は一人で何人分の活躍をしてきていたせいか、1点リードしていた
9回2アウトに、ついに肩が動かなくなってしまった。
投げたくて投げたくてしょうがない気持ちを必死で抑えながら、先輩は
ボールを彼に託した。
周囲は疑問に感じたようだけど、私にはわかるような気がした。
初めての晴れ舞台。高揚感と孤独感の中、彼は必死に投げた。
先輩の分まで。
私達、いや、私の思いは通じず、彼は打たれ、そしてまた打たれ
まさかの逆転負けを喫してしまった。
試合終了後のベンチ。彼はかける言葉も無いほど落胆していた。
チームメイトは、ある人は泣き崩れ、ある人は悔しさに身震いしていた。
「あいつさえ投げなければ」と行き場の無い憤りを彼にぶつける人もいた。
きっとその言葉は彼にも届いてしまったことだろう。
それを遮るかのように先輩は彼の元に歩み寄り、
「ありがとう。頑張ったな。後はまかせたぞ。」
と言った。
彼は涙を流さなかった。いや、涙すら流せなかった。
それ以来、彼はほとんど誰もいないこの場所で、一日たりとも欠かさず、
日が昇り始めるこの時間から、さらに人一倍練習するようになった。
球が当たる音やスパイクでマウンドを削る音の合間に聞こえる、すすり涙を
私は確かに聞いていた。
最初は冷ややかな目で見ていたチームメイトも、その後の努力と結果に
次第に彼を認めるようになり、3年の夏には彼はチームの要になっていた。
再び戻ってきたマウンド。そこに降り立った時、彼にはどんな思いが駆け巡ったのだろう。
古ぼけた背番号1。それを背負って、彼は小さな体全身を使って精一杯投げた。
地元新聞には大番狂わせの見出しがつき、彼の学年も地区大会決勝まで勝ち続けた。
だけど、そこで120%出し切っていた彼の体がついに悲鳴をあげた。
(もう投げられない。)
そう感じた時の彼の思いはどれほどのことだったろう。
監督がマウンドに歩み寄り交代を提案したが、彼は交代しないよう必死でお願いした。
でも、とても投げられるような状態でないことは誰がみても明らかだった。
彼は、ついに受け容れた。ただし、監督に1つお願いをした。
かつての先輩がそうであったように、人一倍努力していた後輩への交代を切望したのだ。
監督はそれを許可した。
結果は、去年と同じ試合を見ているかのように逆転負けを喫した。
スタンドからは惜しみない拍手が送られたが、彼はその賛辞を受け入れようとはしなかった。
彼は、もう二度と以前のような球は投げれない体になっていた。
大学受験であわただしくなる高校3年生の冬。
部活を引退し、もう目標も何もあるわけではないのに、
彼はまだ、いつものようにここで球を投げ続けている。
球が壁に立てかけられたクッションに当たった時の音は、か細くてかなしい音を立てる。
でも、その蜻蛉のような儚い音にも、私には人生に一度しかない高校生活で手に入れたもの、失ったもの全ての思いが詰め込まれているような気がする。
おそらく彼は今後も、この孤独な闘いを決して口にはしないだろう。
その絶対的な空間に踏み込んでしまうと、彼の全てを壊してしまいそうだ。
そんな事私にはできない。できるわけがない。
そして、彼の口からその事が話されない限り、私もこのようにずっと彼を見つめ続けていた事を話さないでおこう。
だけど、今後10年か20年かして、もしも彼がこの事を話すようになった時、私はまるで知らなかったかのように驚き、精一杯の微笑みと一筋の涙で応える事にしよう。
それが、人知れず自分と精一杯向き合ってきた彼に、私がしてあげられる一番の事だと思う。
吐く息が白む真冬。今日も、この古ぼけたグラウンドの一角で壁に向かって自分と対話する彼の球音が聞こえる。
その響きは、いつまでたっても永遠に色褪せる事無く、この蒼茫とした空を眺めては私の心に響く事だろう。
元気でね。そして、さようなら。
もう取り戻せない。
やればやるほど、嫌というほどその事がわかる。
その瞬間に訪れる、絶望・無力感。
投球の合間に彼から発せられる何の抑揚もない白い溜息が、
かえって色濃い現実味を帯び、生々しく私の心臓を突き刺す。
話しかけることすら憚られる空間。
細雪の降る早朝の、誰もいないグラウンドで私はいつも彼を見ていた。
恵まれた体格も才能もあるわけではなく、彼もそれを自覚していた。
彼が、この秘密の特訓を始めたのは高校2年生の7月。
この高校になぜこの人が、というような将来有望とされていた先輩。
先輩のおかげで地区大会決勝まで勝ち上がった私達の高校のベンチの片隅で、
彼はやっとの思いで手に入れた真新しくて大きく見える18番を背負って
戦況を見つめていた。
その先輩は一人で何人分の活躍をしてきていたせいか、1点リードしていた
9回2アウトに、ついに肩が動かなくなってしまった。
投げたくて投げたくてしょうがない気持ちを必死で抑えながら、先輩は
ボールを彼に託した。
周囲は疑問に感じたようだけど、私にはわかるような気がした。
初めての晴れ舞台。高揚感と孤独感の中、彼は必死に投げた。
先輩の分まで。
私達、いや、私の思いは通じず、彼は打たれ、そしてまた打たれ
まさかの逆転負けを喫してしまった。
試合終了後のベンチ。彼はかける言葉も無いほど落胆していた。
チームメイトは、ある人は泣き崩れ、ある人は悔しさに身震いしていた。
「あいつさえ投げなければ」と行き場の無い憤りを彼にぶつける人もいた。
きっとその言葉は彼にも届いてしまったことだろう。
それを遮るかのように先輩は彼の元に歩み寄り、
「ありがとう。頑張ったな。後はまかせたぞ。」
と言った。
彼は涙を流さなかった。いや、涙すら流せなかった。
それ以来、彼はほとんど誰もいないこの場所で、一日たりとも欠かさず、
日が昇り始めるこの時間から、さらに人一倍練習するようになった。
球が当たる音やスパイクでマウンドを削る音の合間に聞こえる、すすり涙を
私は確かに聞いていた。
最初は冷ややかな目で見ていたチームメイトも、その後の努力と結果に
次第に彼を認めるようになり、3年の夏には彼はチームの要になっていた。
再び戻ってきたマウンド。そこに降り立った時、彼にはどんな思いが駆け巡ったのだろう。
古ぼけた背番号1。それを背負って、彼は小さな体全身を使って精一杯投げた。
地元新聞には大番狂わせの見出しがつき、彼の学年も地区大会決勝まで勝ち続けた。
だけど、そこで120%出し切っていた彼の体がついに悲鳴をあげた。
(もう投げられない。)
そう感じた時の彼の思いはどれほどのことだったろう。
監督がマウンドに歩み寄り交代を提案したが、彼は交代しないよう必死でお願いした。
でも、とても投げられるような状態でないことは誰がみても明らかだった。
彼は、ついに受け容れた。ただし、監督に1つお願いをした。
かつての先輩がそうであったように、人一倍努力していた後輩への交代を切望したのだ。
監督はそれを許可した。
結果は、去年と同じ試合を見ているかのように逆転負けを喫した。
スタンドからは惜しみない拍手が送られたが、彼はその賛辞を受け入れようとはしなかった。
彼は、もう二度と以前のような球は投げれない体になっていた。
大学受験であわただしくなる高校3年生の冬。
部活を引退し、もう目標も何もあるわけではないのに、
彼はまだ、いつものようにここで球を投げ続けている。
球が壁に立てかけられたクッションに当たった時の音は、か細くてかなしい音を立てる。
でも、その蜻蛉のような儚い音にも、私には人生に一度しかない高校生活で手に入れたもの、失ったもの全ての思いが詰め込まれているような気がする。
おそらく彼は今後も、この孤独な闘いを決して口にはしないだろう。
その絶対的な空間に踏み込んでしまうと、彼の全てを壊してしまいそうだ。
そんな事私にはできない。できるわけがない。
そして、彼の口からその事が話されない限り、私もこのようにずっと彼を見つめ続けていた事を話さないでおこう。
だけど、今後10年か20年かして、もしも彼がこの事を話すようになった時、私はまるで知らなかったかのように驚き、精一杯の微笑みと一筋の涙で応える事にしよう。
それが、人知れず自分と精一杯向き合ってきた彼に、私がしてあげられる一番の事だと思う。
吐く息が白む真冬。今日も、この古ぼけたグラウンドの一角で壁に向かって自分と対話する彼の球音が聞こえる。
その響きは、いつまでたっても永遠に色褪せる事無く、この蒼茫とした空を眺めては私の心に響く事だろう。
元気でね。そして、さようなら。
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