ということで、珍しく久々なコラムめいたものを。
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 最近、色々な人と交流する機会が増え、その分だけ私が大好きな人間観察をする機会も増えてきているわけですが、その中で、いわゆる気が短い人(圧倒的多数)と、気が長い人(稀有)な方と出会うのですが、彼ら彼女らと話して行くうちに、ある相関を発見しました。

 pの法則?:
 短気な人は減点法で人を採点し、
 大きな人は加点法で人を採点している。

 解題:
 ある人と、別の特定の人物について人物評をする際、「こいつえらい手厳しいな〜」と思うときは、大体、その相手は私にとっては些細な事で切れたり苛々したりする人間が多く、一方、逆もまた真なり、「えらい評価が甘いな〜」と思う人間は、大体私より懐が深い人間が多いです。
 で、なぜ「手厳しい」と感じたのかさらに考えてみると、どうやら『あそこがいけない、あれはナイ、あれがキモい』という言の多さから来てるという結論に達しましたし、逆に「評価が甘い」と感じるのは、『あれが素晴らしい、ああいうのもアリ、あれが良い』みたいな言の多さから来てることに達しました。
 
 さて、ここで自分の評価をまわりの人から聞くと、概ね気が長い方の部類に入るとのこと。「というか、面と向かって、『短気だね』みたいな事は言えないんじゃないの?( ̄ー ̄ )」とか、「それって、暗に鈍感とか天然ボケとかっていうことを言ってるんじゃない?( ̄ー ̄ )」という至極最もな突っ込みは今回はさておき(をい)、私は気が長いか、という問いに対しては即座にNOなのであります、隊長。
 
 確かに、私は加点法で人を見る事が多い。あくまで物の喩えだが、たとえば、仲が良い女性がいて、付き合うかどうかまでに至るには、しばらく交流を深めてみて、「あ、こういうのいいな」と思う事が積み重なってゆき、ある点数以上に達すると、「これは是が非でも、お願いいたしたく!」ということで、毎回玉砕(爆)する私なわけだよH氏!なのですが、まず、この閾値というか臨界点(をい)が異様に高い。ので、ある程度仲良くはなっても、親友とかそういった深いつきあいに至ることはあまりありません。
 そして、さらに言うならば、私には、加点してたのが、ある一言、一行動で一気に0点へと行ってしまう、禁忌の言動というものも割とある。えらく上から物を見ている書き方で、自分で自分の首を締めているのを承知で敢えて書かせてもらうと、たとえば、アニメ声を始めとするヲ○クな人(アニメ声は別として、野郎がヲ○クだとむしろ面白いと感じるから不思議だw)とか、約束を守らない人とか、一方的に喋ったりあるいは全く喋らない、といった会話ができない人とか、実は結構ある。しかし、滅多に切れない私は、「切れ」慣れていないせいか、その加減を知らず、いざ切れた時はかなり強烈なインパクトを与えるらしく、再起不能の関係になってしまうかと思いきや、意外と切れた方がかえって一発逆転で好意を得られる時もある。不思議だ。いかん横道にそれた。
 それはともかくとして、今言った二点を鑑みれば、表面に出してないだけで、全然気が長い人間では無い私ですが、そもそもそこまでして気が長い必要はあるのか、気が短いのはいけないことか、という別の考えも出てくる。
 少なくとも私にとっては、気が長いのは必ずしも褒め言葉ではないし、気が短いは、必ずしも貶し言葉ではない。
 大体、私の人生を決める一撃必殺の言動をした人間は短気を超えて怖い人間が多かったような。いや、そこまで真剣に俺のこと考えてくれてたのか〜、とむしろお礼をいいたくなったり、なんか好きになることが多かったような。そんな私はヘンなのでしょうかそうですか。ちゅうか、喧嘩好き(≒勝負好き)なのは昔からなのですが、女性との口ゲンカも好きなのでしょうかね。

 まあ、そういった私の内面の葛藤(違)はさておき、表面上は、気が長い人に見られる事が多く、一方で私もそこまで思い入れず、浅く広くつきあう人間であり、一応上記に書いた加点法の人間なので、人からも好意的に見られる場合が多く、しかも女性からも一応、それなりの対応をしてもらえるので、勝手に妄想で楽しい夢を膨らませることもできるわけです。ビバ、八方美人♪ヽ( ´ー`)丿

 まあ冗談はさておき、皆さんはどのように人を見ているでしょうか、そして、そんな自分をどう思っているのでしょうか?例によって感想は、もほ掲示板が請け負うということに今決めましたので、暇で暇でどうしようもない時にでも、お書きいただけると幸いです♪

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