久しぶりの更新なのに、こういう文章を書く私はどうか。
 (以下、アレな内容なので、アレと思った人はスルーしてください)
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 人は存在していなければ、その存在が散り、土へと帰し、最早その形を止めず、物理的に霧消していくと同時に他の人の心からも−すなわち、精神的にも−霧消してゆきます。
 私の場合、鈍感で頭が悪くなったせいか、或いは割り切った生き方でないとやっていけない、という思いからか、研ぎ澄まされた意識で生きる事を止め、漫然とした長距離走を走るときのような長い人生に対応した生き方を採用しました。
 ところが、短距離走のように全速力で突っ走った挙句、すぐ走るのをやめてしまった生き方を採用した人間も、私の周りには現在完了的に存在しています。
 ここしばらくも、そういった生き方を採った人間が身近に存在する環境に、否が応でも我が身はやつされ、再びこのような事を思い出さずにはいられない風に至ったわけです。
 しかしながら、その時は、あれほど強烈な印象を残したはずだったのに、わずか数年の月日も経ずに、私のような愚鈍な人間には、その存在を忘れられるとは知らずに、自らいずれ運命が決めるべき事象を自分で決定し行為するわけです。
 ただ、そのような歩みを止めた人間でも、なにがしかの表象物による「カタチ」を残す事で、その存在は、細々ながら、我々此岸の人間にも想起され、形而上に朧々とだけ現れては消え行くことはできます。
 ネット上の電子データも、一種の表象物たりうるものでしょう。たとえ、それを見に訪れるリンク者や、ネット上での友人から歳月を経て忘れ去られ、置き去りにされたとしても、閲覧可能なデータベースとして蔵書されてる限り。
 私自身も、もはやその存在は忘れかけ、ネット界隈のブログブームによる高機能ブログサービスが多く出現していること、ネット自体に訪れる時間が減った都合から、本ブログも一旦、終了すべきかどうかと思っていたのですが、最近の事情から、再び見て見ると、きちんと、忘れないで今でも遠くに居る彼女を見守っている人たちがいるのを見て、はっとさせられました。
 そして、きちんと表象物が残されているのも今、知りました。

 既に、本ブログを活用している中での知人は数年も居ない状態になっており、唯一である私も、その存在を忘れかけていたのですが、きちんと、彼女の精神は、ほんの幽かな青白い光をともしていたのです。

 1冊の本と共に

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