ISBN:4062123444 単行本 魚住 昭 講談社 2004/06/29 ¥1,890

う〜ん。
不完全燃焼、という言葉がまず浮かび上がる。
しかし、この言葉は即座に誤謬があるように感じ、思考は溶いた絵の具のような闇の渦巻きにどれが真実なのかが霧消されてゆく。

それは、まさしく影の総理、野中氏(以下敬称略)の政治スタイルそのものだとも言えるかもしれない。

この本では、単なる上辺だけの新聞やTV放送では知る由も無い、否、それどころか事実を歪曲された認識しかできない事柄の真実が、筆者の類稀なる取材力によって顕かとなっている。しかも、帯にあるように、衝撃的な事実が脈々と。

それからわかることは、いささか自虐めいているが、私がいかにマスコミや本からの言説を鵜呑みにしていたか、その社会操作の有り様だ。私がここで詳しくを書けないほど、込み入った話が書かれているわけだが、今はネット上で、こういった裏事情が、門外漢の私でも聞ける。(まあ、非公式であるために真贋入り混じった言説が跋扈しているわけだが)

しかしながらそれが、この作品の存在意義を薄めているかというと、それは即否定できる。なぜならば、野中が政治生命の終わりを告げるまでをこの本が書ききった事で、日本は真の意味での55年体制的政治手法及びそれに基づく社会的パラダイムを断絶し変容を遂げた事を意味するからだ。

と同時に、日本人の生き方・美徳の精神の変容ももはや不可避的に進行しているのではないか。

私は、本文中のこの一節を見て、はっとした。
本文P.320の一説である。
「独自の国家戦略を持たず、与えられた役割に忠実すぎる野中の弱点は、小渕政権の官房長官時代に露呈する。すでに触れたように野中は、ガイドライン関連法や盗聴法、国旗・国家法、改正住民基本台帳法など国民の基本的人権を制限し、日本を右旋回させる法律を次々と成立させた。後に『なぜこんな法案を成立させたのか』と問われて野中はこう答えている。」

それに対する野中の返答及び、それ以後の筆者の論の展開こそ、この本の価値なので触れないが、私から言わせればその返答は、まさしく「日本」で、哀しいほどに滅私であった。

と同時にそれが結果的には一人相撲の果てに、非常に私的なものとして成案化されてしまったことに唖然とする。その深層にある、種々の行動へと至らしめた負の原動力を考えると、差別の闇の恐ろしさを改めて感じざるを得ない。

いずれにせよ、先ほどから論評であるのに詳述すべきことをしていないのは、私なりの野中に対する敬意であると同時に、もはやここに述べられている差別が、政治が、既に「歴史」として過去になったものとして過度の感傷へ帰す事を拒否したいからである。

 もはや現在は違う。我々には、もう日本国憲法に基づいた戦後日本という社会・国家は存在しない。新たな国家・社会モデルの模索の為に、過去の遺産として参考にはしても懐古に浸っていては何も始まらない。

 もはや20世紀ではないのだ。

 作者の前作「渡邊恒雄 メディアと権力」を手に取ると、その最初に渡邊と野中が会談をしているシーンがある。作者が野中に興味を持ち始めた要因の一つであろう。両者の政治思想・闘ってきたフィールドは全く違えど、同じく20世紀の政治的手法の代表格の一つとして、「歴史」的意味を考える上でも、近いうちに読み進めて行こうと思った。

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