「ちょっと、楓さん。」
それは、女性だけで会話がなされるときのトーンだった。しかも、ただ事ではないのは、その語気から、わかる。
陽子は、(きたっ…!)、と思った。叱られた子供のような、しかめっ面をした後、片目をつぶったまま、呼びかけた方を向く。
そこには、3人のクラスメートの女の子が眉をひそめて、陽子のほうを見ていた。
「話が、あるの。昼休み、第一講義室屋上に来て。」
陽子が返事を言う間を持たせる事無く、その3人は、陽子の元を去った。有無を言わさず、といったところだろうか。陽子は、大きな溜息をついた。
「ちょっとちょっと陽ちゃん。何話してたの?」
席が隣だったこともあり、仲良くなった川嵜(さき)朋絵が、廊下での先生の質問から帰ってきた。
「う、うん、なんでもないわ。」
情の深さが顔にも表れている朋絵に、相談事なんてしたら、多分、一日中、気を揉ませる事になるだろう。まだ1ヶ月も経ってないのに、陽子は朋絵の性格を、なぜかこういう風に決め込んでいた。
「う〜ん。ポジション悪ィ。」
男子トイレで、康輔が冗談めいて喋る。
「そういや、午後、混合バレーだな。『事故』らないかな。」
そう言う、康輔の顔はにやついている。勿論、ここでの「事故」に込められた意味は、決して悪いものではない。むしろ、康輔にとっては、僥倖とも言える事態を指しているようだった。勿論、あらぬ事を妄想するのが、この世代だが、康輔のそれは、一層逞しいものだったようだ。
隣で、またいつものことか、と呆れ半分、飽き半分でいい加減に聞いていた遼平は、昨日の夜の事を思い浮かべていた。
(僕も、康輔みたいに、こんなに喋る事ができたらなぁ…)
宙吊りになった、陽子の相談は一体なんだったのだろう。昼前の授業の合間合間に、遼平は、ちらりと陽子の顔を見ていた。昨夜の事があったからであろうか、幾分浮かない顔をしているかのように見えた。
授業は、世界史だった。遼平は、世界史が好きだった。日々の煩わしさも、広大な世界で今もなお連綿と続いているのべ何百・何千億の人間の営みを聞くにつけ、ばからしくなって心が晴れる気がするからだ。
しかし、今日の授業は、遼平にとってはつまらないものだった。ローマ帝国成立前の話で、第二回三頭政治において、実力者アントニウスが、同じく三頭の一翼アクタヴィアヌスの実姉アクタヴィアと離婚し、クレオパトラと結婚したがために、アントニウスは没落の道を辿り、クレオパトラのプトレマイオス朝もアクティウムの海戦により滅亡した。勿論、クレオパトラとの一件は、単なる口実だっただけかもしれないが、不義の恋により、一国の王朝が滅亡し、世界史上まれに見る、広大な帝国を作るきっかけにまで至ったのが、遼平にとっては、甚だ不満だった。政争の舞台に乗る人間の思惑で、幾多の人間が血を流したという事実に、いつも感じている、人と接する事の煩わしさが、遼平のどこかで重なったのかもしれない。
そんな憂鬱の中、遼平と陽子、お互いの昼休みが始まった。
それは、女性だけで会話がなされるときのトーンだった。しかも、ただ事ではないのは、その語気から、わかる。
陽子は、(きたっ…!)、と思った。叱られた子供のような、しかめっ面をした後、片目をつぶったまま、呼びかけた方を向く。
そこには、3人のクラスメートの女の子が眉をひそめて、陽子のほうを見ていた。
「話が、あるの。昼休み、第一講義室屋上に来て。」
陽子が返事を言う間を持たせる事無く、その3人は、陽子の元を去った。有無を言わさず、といったところだろうか。陽子は、大きな溜息をついた。
「ちょっとちょっと陽ちゃん。何話してたの?」
席が隣だったこともあり、仲良くなった川嵜(さき)朋絵が、廊下での先生の質問から帰ってきた。
「う、うん、なんでもないわ。」
情の深さが顔にも表れている朋絵に、相談事なんてしたら、多分、一日中、気を揉ませる事になるだろう。まだ1ヶ月も経ってないのに、陽子は朋絵の性格を、なぜかこういう風に決め込んでいた。
「う〜ん。ポジション悪ィ。」
男子トイレで、康輔が冗談めいて喋る。
「そういや、午後、混合バレーだな。『事故』らないかな。」
そう言う、康輔の顔はにやついている。勿論、ここでの「事故」に込められた意味は、決して悪いものではない。むしろ、康輔にとっては、僥倖とも言える事態を指しているようだった。勿論、あらぬ事を妄想するのが、この世代だが、康輔のそれは、一層逞しいものだったようだ。
隣で、またいつものことか、と呆れ半分、飽き半分でいい加減に聞いていた遼平は、昨日の夜の事を思い浮かべていた。
(僕も、康輔みたいに、こんなに喋る事ができたらなぁ…)
宙吊りになった、陽子の相談は一体なんだったのだろう。昼前の授業の合間合間に、遼平は、ちらりと陽子の顔を見ていた。昨夜の事があったからであろうか、幾分浮かない顔をしているかのように見えた。
授業は、世界史だった。遼平は、世界史が好きだった。日々の煩わしさも、広大な世界で今もなお連綿と続いているのべ何百・何千億の人間の営みを聞くにつけ、ばからしくなって心が晴れる気がするからだ。
しかし、今日の授業は、遼平にとってはつまらないものだった。ローマ帝国成立前の話で、第二回三頭政治において、実力者アントニウスが、同じく三頭の一翼アクタヴィアヌスの実姉アクタヴィアと離婚し、クレオパトラと結婚したがために、アントニウスは没落の道を辿り、クレオパトラのプトレマイオス朝もアクティウムの海戦により滅亡した。勿論、クレオパトラとの一件は、単なる口実だっただけかもしれないが、不義の恋により、一国の王朝が滅亡し、世界史上まれに見る、広大な帝国を作るきっかけにまで至ったのが、遼平にとっては、甚だ不満だった。政争の舞台に乗る人間の思惑で、幾多の人間が血を流したという事実に、いつも感じている、人と接する事の煩わしさが、遼平のどこかで重なったのかもしれない。
そんな憂鬱の中、遼平と陽子、お互いの昼休みが始まった。
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