言質至らしめる剽窃158:命の軽重を問う
2004年10月31日 端倪すべき夢幻能 「だからあれ程いったのに…。」
という言葉を出したくなりますが、もう最悪の結果となった今では、ただひたすら無言で悼むしかありませんね。
往々にして、口やかましい親(特に父親)の言の有り難味がわかるのは、いざ自分が働き出したりして父と同じ境遇になり世の中が見え始めた時、つまり、大分後になってから。その合間に何度か失敗を繰り返し、自分の若さ=甘さを痛感し、最終的に、それを見越して苦言を呈して叱っていた(怒るに非ず)人が実は、一番自分の事を思っていたと気づき、冷静なる自己分析と社会人としての自分の在り方・生き方を発見してゆくものだと私は思ってます。しかしながら今回は、抜き差しならない所までいってしまったため、本人に後悔・反省・発想の転換をする間も与えぬまま、最悪の結果になってしまったため、どうしようもない絶望感しか残りません。
こういう事態になってしまうと、苦言を呈していた人も、冒頭の「あれ程…」なんて言は言えよう筈もなくなってしまい、ひたすらやるせなさと後悔しか残りません。最早、誰も救われず残酷な神が支配しているかのような錯覚を覚えることになります。
それにしても死にたくなくても、死なざるを得ない人だっているのに…。無為に死ぬなら、せめて臓器移植とか私財を投げ打つとか、せめて死後、残った人間に感謝されたり、記憶に残る事をやっていれば、その人の人生もせめてもの有意義だったと思われる筈なのに…。
それでも国は、「強い」国を目指すべく、改革を断行しています。パックス・ジャポニカでは許された、「あ、これ知らんかったけど、許して、テヘ」とか、ほのぼのした雰囲気で相手の同情・親愛の情に訴えるという方式(その最たるものは、憲法そのものの思想にあったような気がしますが)が益々通用しない、言わば、よく言えば厳密なる合理的で完全実力主義の、悪く言えばコンピュータのように融通が利かないギスギスした国になりつつありますね。余裕なくなりましたね、日本。やっぱ、歴史的に見てもそうですが、金が無いとこうなってゆくんですかね。ああ、小渕さんの頃が懐かしい…。
歴史は繰り返されます。が、全く同じ事を繰り返していては学習能力が無い。日本は、そんなに頭が悪い国家ではない筈だと思いますので、似て非なると思われる今後の小泉改革の動きを慎重に見守って行こうと思ってます。
という言葉を出したくなりますが、もう最悪の結果となった今では、ただひたすら無言で悼むしかありませんね。
往々にして、口やかましい親(特に父親)の言の有り難味がわかるのは、いざ自分が働き出したりして父と同じ境遇になり世の中が見え始めた時、つまり、大分後になってから。その合間に何度か失敗を繰り返し、自分の若さ=甘さを痛感し、最終的に、それを見越して苦言を呈して叱っていた(怒るに非ず)人が実は、一番自分の事を思っていたと気づき、冷静なる自己分析と社会人としての自分の在り方・生き方を発見してゆくものだと私は思ってます。しかしながら今回は、抜き差しならない所までいってしまったため、本人に後悔・反省・発想の転換をする間も与えぬまま、最悪の結果になってしまったため、どうしようもない絶望感しか残りません。
こういう事態になってしまうと、苦言を呈していた人も、冒頭の「あれ程…」なんて言は言えよう筈もなくなってしまい、ひたすらやるせなさと後悔しか残りません。最早、誰も救われず残酷な神が支配しているかのような錯覚を覚えることになります。
それにしても死にたくなくても、死なざるを得ない人だっているのに…。無為に死ぬなら、せめて臓器移植とか私財を投げ打つとか、せめて死後、残った人間に感謝されたり、記憶に残る事をやっていれば、その人の人生もせめてもの有意義だったと思われる筈なのに…。
それでも国は、「強い」国を目指すべく、改革を断行しています。パックス・ジャポニカでは許された、「あ、これ知らんかったけど、許して、テヘ」とか、ほのぼのした雰囲気で相手の同情・親愛の情に訴えるという方式(その最たるものは、憲法そのものの思想にあったような気がしますが)が益々通用しない、言わば、よく言えば厳密なる合理的で完全実力主義の、悪く言えばコンピュータのように融通が利かないギスギスした国になりつつありますね。余裕なくなりましたね、日本。やっぱ、歴史的に見てもそうですが、金が無いとこうなってゆくんですかね。ああ、小渕さんの頃が懐かしい…。
歴史は繰り返されます。が、全く同じ事を繰り返していては学習能力が無い。日本は、そんなに頭が悪い国家ではない筈だと思いますので、似て非なると思われる今後の小泉改革の動きを慎重に見守って行こうと思ってます。
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