松崎、じゃなくて赤木さんの方です。
 阿佐田某=色川武大さんは、勝負師だけに限らず、その対極とも思われる芥川賞(これは、対極というほどでもないですが)や泉鏡花賞(!)何より川端康成賞(!!)まで受賞された実在の人物ですから有名になって当然ですが、しげるさんは、福本氏が誰をモデルにしているか知りたいところです。モデルがなくて、ここまで人物像を描きあげる&惚れ込めるのならば、福本氏のプロット力が凄いのでしょう。

 それにしても、勝負師。

 まあ、興味が無い人間からみると、これほどライオンの雄みたく、その自分が得手とする勝負事に興じていない限り、ただのヤクザ者で無為徒食で人生の落伍者である人間は居ないわけですが、ことその勝負事になると、鬼神の如きオーラを放つわけですから人間というものは不思議です。

 しかし、勝負師はいつでもそうですが、勝負の最中は、いつでも俯きがちで、「ポーカーフェイス」の意味が示すように無表情でいます。一過性の勝ち負けで一喜一憂している人間は、勝負−特に対人間との勝負−ではいずれ足元に付け込まれる事でしょう。
 これは、勝負師としての作法といった、儀礼的意味合いとして捉えている人もいるかもしれませんが、私の数少ない経験・観察から察するに、そういった表情もおくびに出せないほど、緊張と集中と冷静なる頭脳の猛回転がその人で行われているからだと思うのです。すなわち、一喜一憂している暇など、勝負の最中はないわけです。麻雀で人相手に、相手の態度・雰囲気と河に捨てられた牌と自分との手を、デカデカピンの真剣勝負で普通のスピードでやるとしたら、それこそ、感情なんて出してる暇がないと思うわけなんですな。

 こんな風に考える私ですから、私も本気で勝負事するときには、今週の近代麻雀の某しげるさんみたいに、俯きがちで、まずちょっとのことでは笑ったり悔しがったりしてる暇がないくらい頭をはりめぐらします。そして、そういう時は、必ず勝ちますし、そうでない時は絶対に負けます。不思議なことに、運というものも、やはり人知れず精神を擦り減らすくらい集中させた者にしか女神は恵んでくれません。(ってオカルトすぎますな)
 しかし、私はタバコが大の苦手。しかし、そういう勝負の場では、タバコを吸う人間が一杯いるので、そうすると頭がすぐにボーっとなってきて、この張り詰めた精神状態でいるのは長続きしないのですが、それを承知で敢えてやると絶対負けます。しかも、負けても血の気が引かず、(あ〜あ負けちゃった)といったどうしようもなさとやるせなさだけが余韻として残るくらいで済むから始末が悪い。「負け組」という言葉は使いたくないのですが、負け組の精神をそこで体得してしまうことになるわけです。
 ということで、私はタバコで頭痛が仕出したら潮時といつも、決めているわけです。しかし、負けているときは勝つまでやってしまいますが。某たかさんが仰っていたように、やはり、最後に勝った人間が真の勝利者なわけです。

 その意味では人生の最後、すなわち今際の際に「嗚呼我が人生幸深し」と思えたらその人の人生は成功だと言えると思うのですが(って、なんかあやしいトコの勧誘みたいな文章になってきた(苦笑))、なんでこんな文章を書いたかというと、週末、一銭の足しにもならないけど、とある勝負事で、久々に勝負師としての自分の適性をかけて挑んだところ、やっぱり大勝ちして、隣に女性が座った途端、気が乱れて負けだした(恥)自分の身の程を知った一件があって、ああ、やっぱそうだよな、と自分の認識と能力の限界を追認したからなわけで。

 まあ、勝負の場の経験が少ない私が、勝負論を語るのは、おこがましいことなんですが、また、たかさんや、「真剣勝負」をされてる将棋仲間の方と勝負論で華を咲かせたいな、と思っている週末は「一喜一憂」してしまった未熟なさいぺがいましたとさ。

 

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