私の得意技炸裂です。
 
 まあ、今も金はないのですが、学生時代はもっと金が無かった
ので、良く立ち読みしては、店員さんから煙たがられたものです
が、最近、バイト帰りに、夜遅くまで空いている書店で、新刊チ
ェックというか、斜め読みするという以前の習慣が復活しつつあ
ります。

 まあ、斜め読みなので、ブックレビューとするには、おこがま
しいのですが、今日、面白かったのは、某京都のセラミツク会社
の創業者にして、某携帯電話会社の顧問氏による精神論書。
 まあ、出版社が出版社なので、当然のごとくビジネス部門で1
位になっていたのですが、まあ、氏のこういった考えは、根が仏
門で日本人な私としては、非常に共感がもてました。
 と同時に、なんか似たような言動を良く見聞きする為、峻別す
る能力が落ちに落ちている昨今の私。ちゃんと似て非なるものを
区別せねば、とも思うのですが、こういった精神論−とりわけ日
本人の−はそもそもが、鈍色の服のような、高貴であるようで、
質素のようでもあり、喪服として偲ぶ時に使うものでもあれば、
平穏無事なる満ち足りた心境を具現化した色でもあるような
、心地よい曖昧さがあり、非常に峻別しづらいです。ですが、
そういった曖昧さこそが、むしろ醍醐味なわけですから、まあ、
ぼやけたままでも良いでしょう。(とりあえず、以下は立ち読みし
ておぼろげに覚えている箇所のあらすじを私なりに書き、そして
感想を付け加えることにします。)

 ということで、面白かったのはリーダー論。
 中国の兵法書(孫子?)にある、

 「リーダーに必要なのは、人格・勇気・能力全てであるが、
この3つに序列をつけるとするならば、1が人格、2が勇気、
3が能力」

 というものを引き合いに出され、今まで及び特に最近の
日本は、リーダーは才気鋭い、能力がありそうな者をリー
ダーとして選びたがる傾向があった。勿論、能力は言うず
もがな、リーダーに必要であるが、上述したように、リー
ダーとして、それを全面に押し出している人間は、上の成
語が示すように、三義的なリーダーである。それよりも勇
気、それよりもそれよりも人格者がリーダーとなるべきで
ある、といったような論を展開されています。
 これは、氏が自説として挙げられていた、リーダーに必
要なのは、考え方・熱意・能力にそのまま対応していると
思われます。氏は、考え方と熱意と能力の積が、リーダー力
に繋がるといったニュアンスの事を述べられていますが、

 「考え方(人格)が陶冶されておらず、熱意・能力が高い人間
というものは、少し問題があるどころか、むしろ悪い方向へベ
クトルを向けて突っ走るので、非常に問題となる」

 といった考えは、素直に肯えました。算数で喩えると、
「考え方」なる変数は、マイナスにもなる場合があり、この時
は非常に大きなマイナスの値になりかねず、大変だ、というわ
けですね。
 
 そして、考え方=人格のラインは、道徳へと繋がり、さらに
は、その要素として敬天愛人的な利他精神・謙虚さへと繋がる
わけですが、その中でのフレーズ

 「徳高きものは、高き位につけ、功(能力)高きものは高き報
奨を与える」

 という言葉(ってか、きちんと覚えてない。特に後ろは、勝手
に自分で作ったf(^^;)は、実に当を得ている気がしました。
 ここの部分の氏の解題は見てないので、私なりに、この言葉
を考えてみると、これは2種類の解釈ができます。

 わかりやすくするために、直截な書き方をします。
?文字通りの解釈。適材適所的な、徳高い人には地位を与え、
 功高き能力のあるものには報奨を与え、その能力を活かす
 というもの。それ以上でもなければそれ以下でもない。
?うがった解釈。さきほどの1人格2勇気3能力に照らし合わ
 せると、能力のみ優れていて、人格・勇気が伴っていない
 人間は、まだ地位を与える段階ではない。ただ、その能力は
 事実、素晴らしいわけだから、それに対するものとしては、
 報奨という形で与えるべきである。
  対して、徳高きものには、そういった物欲などは私利のみ
 の面では興味がないだろうし、名誉欲はあるにはあるだろう
 が、それも人様に恥ずかしくない存在である事を肩書きとし
 て確認したいといった、自己本位のチンケなものでなく、そ
 の高い地位にいた方が、より多くの利他ができる、という考
 えがあるだろうから、そういった人間こそ、高い地位につか
 せれば、それは下位の者にも良き手本として浸透して行くだ
 ろう、という考え。

 氏は、当然、上のような品のない書き方はされてないわけで
すが、私としては、どうしても上の成句は?のように見えて
しょうがありませんでした。
 なんか、かなり私見が入るんですが、能力優位な人がリーダー
になると、すぐアップアップになってキレて、雰囲気がギスギス
した感じになりそうだし、勇気優位な人がリーダーになると、
勇気がある分、脅しとか体育会系的なノリで部下を舎弟の如く
絞らせる恐怖政治が想定されそうなんですな。かといって、
「能力も勇気も無くて徳はあるよ〜ん」みたいに勘違いした
フワフワ人間がリーダーになると、そもそも企業だのの法人格
すら成立できない未熟な感じがするわけですが。徳は重厚遠大
なるものなの(らしいの)です。

 つまり私は、日本人にとって、最もふさわしいリーダーは宰
相タイプでも無ければ勇猛果敢な武人タイプでも無く、一見、
凡人には愚鈍とすら思われるかのような遠大重厚な徳がある殿
様タイプだと思う人間なわけです。

 正史(曹操)よりも演義(劉備)好きな日本人。
(私は、某(日本人にとって)新解釈三国志萬画は、能力タイプ=
リーダーにふさわしい、と考える流行的な現代日本人の考えに
マッチしたからヒットしたと思ってるんですがね(ああ、書いて
もうた…。絶対にドヤされる…))
 超人的な鋭利な才気の信長、才気に溢れ常に陽気で成り上がる
勇気に満ち溢れており人望も厚かった秀吉、才気も勇気も徳すら
も空気のように分からないほどの徳を持っていた家康。どの政権
が長続きしたのかを見ても、なんとなく、表層の思想は様々な移
ろいはあっても、日本人の根元思想の帰結部は、ある程度見える
気がしてならないんですがね。
 
 さて、皆様はどのようなリーダーが理想像でしょうか?

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