言質至らしめる剽窃112:ぶらりぶらぶら日帰りの旅
2004年8月9日 端倪すべき夢幻能 昨日、今日と近場ですが、車でわずか数時間の小旅行にいった
のですが、いやはや命の洗濯水入らずとはよく言ったものです。
この「数時間」すら取れなかったもんなぁ。
やっぱり、同じ事ばっかやりすぎると人間って作業効率悪くな
るみたいですね。
まあ、その為に、日曜日とかあるわけですが、大人になるに
つれ曜日の感覚がなくなるのは、休みがなかなかとれないから&
変則的になるから。
それにしても、東京とは時間感覚が本当に違うと思うのは、
奥地に行くと、10年くらい前とまったく変わってない風景とか
あったりするわけですよ。ついでにいうと、夜中、全く光が
無い風景とか、虫の音がうるさいくらいにシーンと静まりかえる
場所とかあって、小さい頃、お化けとか怖がってたのも、こう
いった田舎ならでは、という気がしたわけです。東京の子供って
お化けとかいっても、暗い異様に静寂な空間に曝されることって
ないから、実感わかないのではないでしょうか?
その昔、某角首相が、土曜日も平日並みにするかわりに、夏休
みみたいな連休を45日くらいにすれば、都会の子でも田舎で
自然教育できて良い、みたいな事を言ってましたが、加えて言う
なら「恐怖」の情操教育もついでにできるんじゃないですかね?
恐怖とかマイナスなものを与えると、ついつい、やれトラウマ
やらいけない事みたいな反発くいますが、適度の恐怖心も養って
おかないと、恐怖という、人間以前に動物として重要な感情の
未発達につながりませんかね?だからといって、恐怖ばっか与
えるのは、最もいけませんが。
「恐ろしい」と感じる感覚。それは、自分のリスク回避能力で
あるとともに、リスク供与防止能力にもなる。
どうも、マイナス面は遮蔽・断絶すれば良い、という体質が、
より巨大な負の波を勃発させているような気がする昨今。
この喩えが、今論じている事とパラレルになるかどうかは、わ
かりませんが、殺菌・滅菌すると、それに耐性のある、より
「強い」細菌が生まれる。一番良いのは、そういった人間にとっ
て都合の悪いウィルスやら細菌やらを、致死性・有害性が無い
程度の存在まで減らす弱化することはあっても、抹殺するまでに
は至らしめない、すなわち、ちょこっと(=致死・有害性が無い
程度)くらいは、そういったものにも曝されておく方が、その
生物にとっては良いと思うんですがね。ワクチンやら免疫血清
って、そういう考えの元に使用されているわけですし。
しかし、そうなると、各人で「耐性値」が異なるわけですから、
どれくらいまでが、許容量なのか、それの見極めは誰か判断す
べきか、やっぱ親だよな、でも親っつったって子供とはモデル
が同じだけで他人だから、わからんし、自分だけだったら、
思いがけない事による恐怖というものは体験できない=出来レ
ースという点で、現状の自我の檻を出ることは無いだろうし…。
さらに言うなら、なんでもかんでも伸ばす事は不可能、という
か、やっぱ一つの事を伸ばすには、他のものは物理的に犠牲
にならざるを得ないし…。そうなると田舎の人間が都会の人が
恩恵にあずかっている経済的観点からの利便性を享受できない
一方で、田舎に暮らす事で可能になる経験ができない、という
のも、ある意味、機能化・効率化・人との関連性の希薄化を追
求した都会に、それが無いのは当然といえば当然のことか、で
もだからこそ、田舎者は都会に都会者は田舎に、暇なときには
行くべきなんじゃないかなぁ。
なんてことを考えている内に、小旅行は終了していた、ここ
数日でしたとさ。
のですが、いやはや命の洗濯水入らずとはよく言ったものです。
この「数時間」すら取れなかったもんなぁ。
やっぱり、同じ事ばっかやりすぎると人間って作業効率悪くな
るみたいですね。
まあ、その為に、日曜日とかあるわけですが、大人になるに
つれ曜日の感覚がなくなるのは、休みがなかなかとれないから&
変則的になるから。
それにしても、東京とは時間感覚が本当に違うと思うのは、
奥地に行くと、10年くらい前とまったく変わってない風景とか
あったりするわけですよ。ついでにいうと、夜中、全く光が
無い風景とか、虫の音がうるさいくらいにシーンと静まりかえる
場所とかあって、小さい頃、お化けとか怖がってたのも、こう
いった田舎ならでは、という気がしたわけです。東京の子供って
お化けとかいっても、暗い異様に静寂な空間に曝されることって
ないから、実感わかないのではないでしょうか?
その昔、某角首相が、土曜日も平日並みにするかわりに、夏休
みみたいな連休を45日くらいにすれば、都会の子でも田舎で
自然教育できて良い、みたいな事を言ってましたが、加えて言う
なら「恐怖」の情操教育もついでにできるんじゃないですかね?
恐怖とかマイナスなものを与えると、ついつい、やれトラウマ
やらいけない事みたいな反発くいますが、適度の恐怖心も養って
おかないと、恐怖という、人間以前に動物として重要な感情の
未発達につながりませんかね?だからといって、恐怖ばっか与
えるのは、最もいけませんが。
「恐ろしい」と感じる感覚。それは、自分のリスク回避能力で
あるとともに、リスク供与防止能力にもなる。
どうも、マイナス面は遮蔽・断絶すれば良い、という体質が、
より巨大な負の波を勃発させているような気がする昨今。
この喩えが、今論じている事とパラレルになるかどうかは、わ
かりませんが、殺菌・滅菌すると、それに耐性のある、より
「強い」細菌が生まれる。一番良いのは、そういった人間にとっ
て都合の悪いウィルスやら細菌やらを、致死性・有害性が無い
程度の存在まで減らす弱化することはあっても、抹殺するまでに
は至らしめない、すなわち、ちょこっと(=致死・有害性が無い
程度)くらいは、そういったものにも曝されておく方が、その
生物にとっては良いと思うんですがね。ワクチンやら免疫血清
って、そういう考えの元に使用されているわけですし。
しかし、そうなると、各人で「耐性値」が異なるわけですから、
どれくらいまでが、許容量なのか、それの見極めは誰か判断す
べきか、やっぱ親だよな、でも親っつったって子供とはモデル
が同じだけで他人だから、わからんし、自分だけだったら、
思いがけない事による恐怖というものは体験できない=出来レ
ースという点で、現状の自我の檻を出ることは無いだろうし…。
さらに言うなら、なんでもかんでも伸ばす事は不可能、という
か、やっぱ一つの事を伸ばすには、他のものは物理的に犠牲
にならざるを得ないし…。そうなると田舎の人間が都会の人が
恩恵にあずかっている経済的観点からの利便性を享受できない
一方で、田舎に暮らす事で可能になる経験ができない、という
のも、ある意味、機能化・効率化・人との関連性の希薄化を追
求した都会に、それが無いのは当然といえば当然のことか、で
もだからこそ、田舎者は都会に都会者は田舎に、暇なときには
行くべきなんじゃないかなぁ。
なんてことを考えている内に、小旅行は終了していた、ここ
数日でしたとさ。
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