言質至らしめる剽窃77:桜(はな)の命は短くて
2004年4月17日 端倪すべき夢幻能 桜は日本国の象徴と言われます。
って、こんな冒頭だと、またあっち系の文章だと思われるかも
しれませんが、一応当人は区別しているつもりです。
話を戻して。
桜は儚い。
私は、いつもそう感じます。楚々とした優美さをあえかに匂わ
せると同時に、桜吹雪で見せる幻想的な哀しみを帯びた儚さ。
散り行く桜の柔らかな渦に身を任せると、本当に自分がどこの
世界にいるのかわからなくなり、違う世界に吸い込まれて行きそ
うな静かな妖しさを秘めている気がしてきます。
それ故、私は昔は桜が大嫌いでした。いや、正確には怖かった
というべきでしょうか。
いつも現実にしがみつくことで、なんとか日々の生活を送って
いた、余裕が無かった頃、桜の美しさは、そういった世俗の情か
ら最も縁遠い気持ちにさせるからです。言い換えれば、良くあり
がちな自然という大母に包まれる安堵感と同時に、自己を喪失さ
せるほどの強力な無(あるいは空)へのベクトルの存在を感じてい
たのでしょうか。
いずれにしても、青春期、所謂アイデンティティの確立が至上
命題である人間にとっては、この季節は一番試練の時では無いで
しょうか。(以下は桜を恐ろしいものとして見た場合の見方です。
決して、こっち方向の考えを仕向けているわけではありませんの
でご了承を。)
ケース1:
自分に桜のような美しさを求めたい
↓
しかし、どこか孤独で儚い桜
↓
そういった美しい強い桜を自分自身に求めるには、まだ自己
の確立がなされてない
↓
理想と現実の違いを痛感させられてしまう
↓
ますます悶々とする
ケース2:
他人に桜のような美しさを求めたい
↓
しかし桜のように、物言わぬ静謐な美を表象する強き人間はま
ずいない(いたら、かなり無理してるとしか思えない)
↓
現実に幻滅する、人嫌いになるなどに陥る
ケース3:
現実世界で悩みがある
↓
桜の美しさに世俗を離れた美しさを感じる
↓
それで現実でも頑張ろうと思えば良いのだが、桜の美しさ故に
尚更現実からの疎外感を感じてしまう
↓
ますます厭世的になる
などなどが想起されてきます。
また、武士道の切腹と桜吹雪を連想させる人もいました。すな
わち、「散る」美学を桜吹雪に象徴づけさせるわけです。再び、
ある人曰く「武士道の切腹ほど、最大の逃げと自己陶酔は無い」
というのがありましたが、確かに相撲で言ううっちゃりの如く、
日本という国では、その人の価値を最大限に引き上げる最後の
手段です。本当に最後の手段です。
否応(嫌応)無く、残った者達へ、その存在を焼き付けます。
「自腹を切る」
現在では奢る事を意味する慣用句ですが、原義を考えると、
これほど日本である言葉もありません。自ら敢えて不利になる事
をしてまでも、自分が仮想する他人に対して美しさを見せ、自ら
の株を上げる効果を狙うわけです。
他の国の事情は知りませんが、せいぜい「隗より始めよ」くらい
で、自分と言う物質を解放するほどまでに至る文化というもの
は、さらには、それをナンセンスと捉えず、美しいと感じてしま
う愚か過ぎる人情に満ちた人種というのは、日本を置いて他には
無いのではないでしょうか。
だから、桜は怖い。
アンフェア(反則)なんです。
詩や小説、映像表現などの表象物を考えてみてください。きら
びやかな単語・常套句を並べれば、それなりの美文(と思えそうな
もの)が表現できるのは当たり前なんです。
自ら、他のものへかけた迷惑に責任を感じ、死出の道を選ぶ。
いかにくだらないとされてきた人間でも、それだけで、良い人間
と昇華されます。
愚かしさの極みなのは、そうではない、他人への責任からでは
無い、無責任な生き方で自死を選んだ大馬鹿に対してさえも、な
んだかその人間に同情とまではいかないまでも、やるせなさなど
の何がしか多少の哀悼の意を示さずにはいられない情の深さが、
国民性としてあるのでしょう。
やはり、そういう風潮は、そういった行為への助長に繋がりま
す。そのような行為に対しては、愚かしくも嘆かわしい、否、愚
かな事と我々は敢えて言うべきでしょう。
僕らは現実にしがみつくんです。
何故、いきなり生を受けたか?
その問いに対して答えを見つけてゆく生き方もあるでしょう。
でも、今既にある自然・人工物・他者、すべてを含めた自分以
外の「環境」。時に影響を与え、時に影響を与えられる、そうい
った「環境」との相互作用に愉しさを求めて生きる。それが、そ
んなに苦痛でしょうか?退屈でしょうか?
私なんぞは、まだまだ知らない事ばかり。
こんなに面白い世は無いと思うんですがね。
勿体無いね。性急に事を決めて、損した自分に気づいていな
いのだから…。
もっと話すべき事は多々あったでしょうが、今言った所で、
ただのモノローグに過ぎなくなっている状態に、無表情を
貫き通し、先へ進んで行く自分を是としないと、やってら
れない昨今です。
桜よ!
綺麗な石竹色で儚く消え去るよりも、
汚らしい緑の葉で長く行き続ける自分を
美しいと思ってくれ!
って、こんな冒頭だと、またあっち系の文章だと思われるかも
しれませんが、一応当人は区別しているつもりです。
話を戻して。
桜は儚い。
私は、いつもそう感じます。楚々とした優美さをあえかに匂わ
せると同時に、桜吹雪で見せる幻想的な哀しみを帯びた儚さ。
散り行く桜の柔らかな渦に身を任せると、本当に自分がどこの
世界にいるのかわからなくなり、違う世界に吸い込まれて行きそ
うな静かな妖しさを秘めている気がしてきます。
それ故、私は昔は桜が大嫌いでした。いや、正確には怖かった
というべきでしょうか。
いつも現実にしがみつくことで、なんとか日々の生活を送って
いた、余裕が無かった頃、桜の美しさは、そういった世俗の情か
ら最も縁遠い気持ちにさせるからです。言い換えれば、良くあり
がちな自然という大母に包まれる安堵感と同時に、自己を喪失さ
せるほどの強力な無(あるいは空)へのベクトルの存在を感じてい
たのでしょうか。
いずれにしても、青春期、所謂アイデンティティの確立が至上
命題である人間にとっては、この季節は一番試練の時では無いで
しょうか。(以下は桜を恐ろしいものとして見た場合の見方です。
決して、こっち方向の考えを仕向けているわけではありませんの
でご了承を。)
ケース1:
自分に桜のような美しさを求めたい
↓
しかし、どこか孤独で儚い桜
↓
そういった美しい強い桜を自分自身に求めるには、まだ自己
の確立がなされてない
↓
理想と現実の違いを痛感させられてしまう
↓
ますます悶々とする
ケース2:
他人に桜のような美しさを求めたい
↓
しかし桜のように、物言わぬ静謐な美を表象する強き人間はま
ずいない(いたら、かなり無理してるとしか思えない)
↓
現実に幻滅する、人嫌いになるなどに陥る
ケース3:
現実世界で悩みがある
↓
桜の美しさに世俗を離れた美しさを感じる
↓
それで現実でも頑張ろうと思えば良いのだが、桜の美しさ故に
尚更現実からの疎外感を感じてしまう
↓
ますます厭世的になる
などなどが想起されてきます。
また、武士道の切腹と桜吹雪を連想させる人もいました。すな
わち、「散る」美学を桜吹雪に象徴づけさせるわけです。再び、
ある人曰く「武士道の切腹ほど、最大の逃げと自己陶酔は無い」
というのがありましたが、確かに相撲で言ううっちゃりの如く、
日本という国では、その人の価値を最大限に引き上げる最後の
手段です。本当に最後の手段です。
否応(嫌応)無く、残った者達へ、その存在を焼き付けます。
「自腹を切る」
現在では奢る事を意味する慣用句ですが、原義を考えると、
これほど日本である言葉もありません。自ら敢えて不利になる事
をしてまでも、自分が仮想する他人に対して美しさを見せ、自ら
の株を上げる効果を狙うわけです。
他の国の事情は知りませんが、せいぜい「隗より始めよ」くらい
で、自分と言う物質を解放するほどまでに至る文化というもの
は、さらには、それをナンセンスと捉えず、美しいと感じてしま
う愚か過ぎる人情に満ちた人種というのは、日本を置いて他には
無いのではないでしょうか。
だから、桜は怖い。
アンフェア(反則)なんです。
詩や小説、映像表現などの表象物を考えてみてください。きら
びやかな単語・常套句を並べれば、それなりの美文(と思えそうな
もの)が表現できるのは当たり前なんです。
自ら、他のものへかけた迷惑に責任を感じ、死出の道を選ぶ。
いかにくだらないとされてきた人間でも、それだけで、良い人間
と昇華されます。
愚かしさの極みなのは、そうではない、他人への責任からでは
無い、無責任な生き方で自死を選んだ大馬鹿に対してさえも、な
んだかその人間に同情とまではいかないまでも、やるせなさなど
の何がしか多少の哀悼の意を示さずにはいられない情の深さが、
国民性としてあるのでしょう。
やはり、そういう風潮は、そういった行為への助長に繋がりま
す。そのような行為に対しては、愚かしくも嘆かわしい、否、愚
かな事と我々は敢えて言うべきでしょう。
僕らは現実にしがみつくんです。
何故、いきなり生を受けたか?
その問いに対して答えを見つけてゆく生き方もあるでしょう。
でも、今既にある自然・人工物・他者、すべてを含めた自分以
外の「環境」。時に影響を与え、時に影響を与えられる、そうい
った「環境」との相互作用に愉しさを求めて生きる。それが、そ
んなに苦痛でしょうか?退屈でしょうか?
私なんぞは、まだまだ知らない事ばかり。
こんなに面白い世は無いと思うんですがね。
勿体無いね。性急に事を決めて、損した自分に気づいていな
いのだから…。
もっと話すべき事は多々あったでしょうが、今言った所で、
ただのモノローグに過ぎなくなっている状態に、無表情を
貫き通し、先へ進んで行く自分を是としないと、やってら
れない昨今です。
桜よ!
綺麗な石竹色で儚く消え去るよりも、
汚らしい緑の葉で長く行き続ける自分を
美しいと思ってくれ!
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