なんか最近タイトルがあっち系が多くなってる感じがしますが、決して世論に迎合しているつもりは…、一応ありません(謎)いつのまにか、そういう考えになっちゃってる可能性はありますが(笑えない)
…って、なんでまあ、こう重たい書き方をしたくなるのかねぇ最近は(汗)
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ということで、あまり出したくない(笑)のだが、最近良く引き合いに出している某H氏のNOTE(まあ、コラムみたいな日記ならぬ隔週記です)について。
いつもは、私からだとわけわからん高度なプログラミングや格調高い音楽理論やディープなエ○ゲー批評や、くだらないオヤジギャグ・パロディばかりで、脱力すること限りない話題を提供して、思わず彼のトレードマークであるヽ( ´ー`)丿♪にならざるを得ない癒しのオーラ力を振りまいている氏のNOTEですが、今回のは久々に漢らしい中々のデキのものがあった。
「◆唯一局」の話。あれは良かった!
男心をくすぐる、というか、将棋を(倶楽部24並のレベルで)親しむ人間にとって、一度は絶対に通る道です。
まあ、私の心情を誤解している場面(「断然先手持ち」と言ったのは下手(したて:「へた」ではありません。将棋のハンデ戦で格下の方をこう呼びます)へのリップサービスという、彼のご都合主義的解釈(わっはっは)とか(←括弧多いよ(笑)))など、片腹痛いわっ(笑)、と思えるものもあるにはありましたが、まあ、総じて普段当たり前のように指し散らしている私にとっては、「一局の重み」なるものを感じて清心される思いであった事を、ここに告白せざるをえないほど、秀逸なものであった。
しかし、こう褒めると、氏が良い気分になってヽ( ´ー`)丿の嵐が吹きすさび、こちらがかなり腹が立つ(笑)事態になるので、この手の文章に対して君がまだまだ序の口であるという事を示す名文をここに紹介したい。
というのは、先崎八段。彼の…、今だと文庫本「フフフの歩」に所収されてるのかな、当時新進気鋭でウブ(笑)であった、佐藤康光現・棋聖(ご婚約おめでとうございます)が八段に「モテ光」と冷やかされて、棋聖が向きになって反論したから、ますます面白がって冷やかしていた時期の頃のことだ。
タイトル戦かなんかだったかな、大事な試合で敗戦した際、あまりの棋聖の落胆ぶりに、思わず飲みに付き合わずにはいられなかった八段。様々な話に対しても終始うつむき加減でうなだれている棋聖。そして、グラスを片手に搾り出すようにして言った一言…
僕は…、弱いです…。
普段の棋聖は、解説などからの雰囲気・印象をお見受けする限り、あまり謙遜されない方という印象を私は持っている。となると、これは、本当に己の全力を賭して戦ったのに負けてしまった敗北感から出た、彼にとって最も言いたくない言葉であったに違いない。しかし、将棋とはサシで人間と人間が本気で戦うゲームである。負けたものは、JT将棋日本シリーズのキャッチフレーズではないが、「『本気で』負けた」ことになるわけである。
これは辛い。
特に現代みたいに、人から敗北感を味わわされるどころか、人から何がしかの影響が与えられることすら忌避する人間が多い中で、臥薪嘗胆(原義の方)の辛さである。しかし、それを受けた八段の文章には、当時の私にとって、氏の文才を感じずにはいられない、珠玉の一文であったのだ。
そう言っている彼の姿が、何とも艶っぽく見えた。
それを「艶」と表現できるのか!!
当時の私としては、これはかなりのカルチャーショックだった。というのは、当時の私は、陽気な雰囲気しか好きでなかったので、そういったシリアスの場になると、それこそ人の愚痴に付き合わされるみたいで、どうも居心地が悪い印象しか受けなかったわけだ。ところがだよ。それを「艶」と表現してみろ。確かに、多様化が進む現代において、これほど「純粋なる人」が体現されている瞬間にめぐりあったという事、さらには同じ境遇にいる当人で痛いほどわかるその心情を思えば、「艶」という表現ほど符合する言葉は無いではないか。
この一節を見ただけで、私は、「ああ、この本買って良かったな。とてもお得な買い物をした」と思ったものだった。書物に学ぶとは、こういうことを言うのだな、とも思ったものだった。
例によって、今手元にそれが無いし、見たのもう5年くらい前なので、うろ覚えの部分がある(そもそも、佐藤棋聖じゃなくて鈴木(大)八段だったかもしれない(核爆))のだが、場面状況のみ正確に覚えているので、今伝えたい事に関しては大過ないと思われる。
というので、言いたいのは、
どうよ?これ、いいと思わない?
ということだ(笑)
ということで、息抜きのつもりが、長文でかなり時間をくってしまって、ちと後悔しているさいぺがお送りいたしましたとさヽ( ´ー`)丿
…って、なんでまあ、こう重たい書き方をしたくなるのかねぇ最近は(汗)
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ということで、あまり出したくない(笑)のだが、最近良く引き合いに出している某H氏のNOTE(まあ、コラムみたいな日記ならぬ隔週記です)について。
いつもは、私からだとわけわからん高度なプログラミングや格調高い音楽理論やディープなエ○ゲー批評や、くだらないオヤジギャグ・パロディばかりで、脱力すること限りない話題を提供して、思わず彼のトレードマークであるヽ( ´ー`)丿♪にならざるを得ない癒しのオーラ力を振りまいている氏のNOTEですが、今回のは久々に漢らしい中々のデキのものがあった。
「◆唯一局」の話。あれは良かった!
男心をくすぐる、というか、将棋を(倶楽部24並のレベルで)親しむ人間にとって、一度は絶対に通る道です。
まあ、私の心情を誤解している場面(「断然先手持ち」と言ったのは下手(したて:「へた」ではありません。将棋のハンデ戦で格下の方をこう呼びます)へのリップサービスという、彼のご都合主義的解釈(わっはっは)とか(←括弧多いよ(笑)))など、片腹痛いわっ(笑)、と思えるものもあるにはありましたが、まあ、総じて普段当たり前のように指し散らしている私にとっては、「一局の重み」なるものを感じて清心される思いであった事を、ここに告白せざるをえないほど、秀逸なものであった。
しかし、こう褒めると、氏が良い気分になってヽ( ´ー`)丿の嵐が吹きすさび、こちらがかなり腹が立つ(笑)事態になるので、この手の文章に対して君がまだまだ序の口であるという事を示す名文をここに紹介したい。
というのは、先崎八段。彼の…、今だと文庫本「フフフの歩」に所収されてるのかな、当時新進気鋭でウブ(笑)であった、佐藤康光現・棋聖(ご婚約おめでとうございます)が八段に「モテ光」と冷やかされて、棋聖が向きになって反論したから、ますます面白がって冷やかしていた時期の頃のことだ。
タイトル戦かなんかだったかな、大事な試合で敗戦した際、あまりの棋聖の落胆ぶりに、思わず飲みに付き合わずにはいられなかった八段。様々な話に対しても終始うつむき加減でうなだれている棋聖。そして、グラスを片手に搾り出すようにして言った一言…
僕は…、弱いです…。
普段の棋聖は、解説などからの雰囲気・印象をお見受けする限り、あまり謙遜されない方という印象を私は持っている。となると、これは、本当に己の全力を賭して戦ったのに負けてしまった敗北感から出た、彼にとって最も言いたくない言葉であったに違いない。しかし、将棋とはサシで人間と人間が本気で戦うゲームである。負けたものは、JT将棋日本シリーズのキャッチフレーズではないが、「『本気で』負けた」ことになるわけである。
これは辛い。
特に現代みたいに、人から敗北感を味わわされるどころか、人から何がしかの影響が与えられることすら忌避する人間が多い中で、臥薪嘗胆(原義の方)の辛さである。しかし、それを受けた八段の文章には、当時の私にとって、氏の文才を感じずにはいられない、珠玉の一文であったのだ。
そう言っている彼の姿が、何とも艶っぽく見えた。
それを「艶」と表現できるのか!!
当時の私としては、これはかなりのカルチャーショックだった。というのは、当時の私は、陽気な雰囲気しか好きでなかったので、そういったシリアスの場になると、それこそ人の愚痴に付き合わされるみたいで、どうも居心地が悪い印象しか受けなかったわけだ。ところがだよ。それを「艶」と表現してみろ。確かに、多様化が進む現代において、これほど「純粋なる人」が体現されている瞬間にめぐりあったという事、さらには同じ境遇にいる当人で痛いほどわかるその心情を思えば、「艶」という表現ほど符合する言葉は無いではないか。
この一節を見ただけで、私は、「ああ、この本買って良かったな。とてもお得な買い物をした」と思ったものだった。書物に学ぶとは、こういうことを言うのだな、とも思ったものだった。
例によって、今手元にそれが無いし、見たのもう5年くらい前なので、うろ覚えの部分がある(そもそも、佐藤棋聖じゃなくて鈴木(大)八段だったかもしれない(核爆))のだが、場面状況のみ正確に覚えているので、今伝えたい事に関しては大過ないと思われる。
というので、言いたいのは、
どうよ?これ、いいと思わない?
ということだ(笑)
ということで、息抜きのつもりが、長文でかなり時間をくってしまって、ちと後悔しているさいぺがお送りいたしましたとさヽ( ´ー`)丿
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