言質至らしめる剽窃68:ゆとり教育から発展的内容へ
2004年4月2日 端倪すべき夢幻能 台形の面積が復活したようです。(3から3.14へは戻ったのかな?)
しかし、ゆとり教育は無かったなぁ。
なんか、かたっぽの人たち、子供を高く評価しすぎてた感じでしたね。
所詮、子供で、いざという時、責任取らなくて良い(これ、意外に大きいんだよね。行動する際。)わけだから、そりゃあ思い切った事できるけど、同時に暴走もするわけで。
それに、誰だ、今は受験戦争が大変だ、学歴社会だ、みたいな嘘八百並べてたのは。
まず、勉強は仕事と思ったら、そんな大変と言えるほどのものじゃない。というか、自分ひとりでやれる(商談みたく相手の思惑とか全くいらない)わけだから、自分が点数取れるよう努力するだけで良いわけでしょ。成績悪い人間は、やってないか、やり方が悪いだけで、自分が変わればよいだけ。
それに日本ほど学歴と所得格差が無い国は無い。発展途上国は言うをまたず、殆どの先進諸国よりも、所得格差が低いんですよね。(高卒と大卒で、年収で2〜3倍の開きって考えられんでしょ?)
勉強ってそんな大変(まあ、ある程度大変だとは思うが)じゃないのに、子供に迎合した人間が、そういうストレスから良い子供が育たないって言ってるけど、どこが今の子供が住みにくいっての?暇すぎて、腐敗した輩と付き合わなければいけない、という辛さはあるかもしれんけど、ゆとり教育ってそれを助長した感じがするんだよね。
世の中は競争だし、そもそも生まれたときから、差別とは言わないまでも、それぞれに色んな格差があるわけなのに、それを隠蔽してフワフワした生き方を強制する横並び主義は、何か臭いものにはフタ的な、ありのままの現実を見せてない気がします。まあ、そういった様々な主義も内包できる懐の深さが、いかにも日本なんだけど、時代と時代感覚がズレすぎな感じがしましたね。
勝ち負けとか競争なんか、いらないとか言ってたけど、あれこそ、人間性を抑制する頭でっかちの理論だけ先走った人間の言だったような。真剣に負けて涙を流すほど悔しい思いをしないと、人間は向上しようとか、本当に惚れる事もなくなるし、何より勝つことの有り難味をわからないというのに。
そりゃ、確かに辛いですよ。精神的エネルギー(ってあるの?)かなり消費しますよ。でも、そんなの、世の中に出たら当たり前にあることなんで。そんなの、経験してないで、いわゆる「純粋培養」で世界に勝てる日本人が作れるのか、というのがありましたからね。
まぁ、2年で終わって当然。まあ、「ゆとり教育」を導入したという事で文科省を批判するのは簡単だけど、まあ兎に角新しい試みが要請されてた時代でしたからね。悪く言うと、なんでも新しい考えであれば良い、みたいな。結局、教育の場はず〜っとある種、実験場という印象は否めないので、やってみないとわからない面がある以上、批判は的外れな気がします。それよりも、即座に2年で軌道修正した文部科学省の機敏さを評価するべきでしょう。
完全に穿った見方になりますが、もしかしたら一縷の望みを託していた「ゆとり教育が良い」と主張していた人に、「あいわかった。なら、試してみよう(結果はわかってるけど…)」と実際にゆとり教育を施行する事で納得させたのかもしれませんね。
こう書いてしまうと、わずか2年のゆとり教育世代は、教育の犠牲者なの?という物言いがつくかもしれませんが、それはわかりません。人間の一生なんて、最後の最後に良かったら、良しとしそうな感じだし、そもそも教育には、何がしかの思想があるわけなので、どっちがいいとか悪いとか判断できないはず。ただ、そこで、被教育者自身に判断能力・自己弁別能力が無かったり、現在の自分がちょっと調子が悪いと、ついそういった教育のせいにしたくなるのはわかりますが、安い金でこれだけの教育受けられるだけでもありがたく思わなきゃ。学校が全部、民営化したら、とてもじゃないけど、これだけの教育サービス受けるには金がかなりかかりそう。特に理系。
まあ、また、井の中の蛙的な、自分の狭い知識をひけらかして悦に入る超生意気なクソガキが一杯できそうですが、まあ、それを笑って過ごせたり、はたまたムキになって「ガキに負けてなるものか」と奮起するも、それは人それぞれならぬ大人それぞれ。でも、そういった雑事の中の底流では、子供を育んでいく気持ちがあるのが大人。それに、そういった子供も、一生そういう生き方はできないでしょうし、まあ、それを送ったら送ったで、研究者的な稀有な生き方が送れるでしょうから、色々な人間の生き方が出てくるんじゃないでしょうか。
どっちにせよ、今までみたいに「言うだけ言わせてもらうけど、自分は安全圏のカヤの外」という、無責任な生き方は少なくなりそう(だって、競争にさらされると、常に結果責任・説明責任問われますからね。ああ、世の中の人も自分と同じ境遇なんだろうな、と思うと、皆頑張ってるなあ&負けたくないなあ、という気持ちが湧いてくるんじゃないでしょうか)だし、より泣き笑いの起伏が激しい生き方を若いうちに出来そうで、幅広い人間性を持てるというか、ふてぶてしい生き方ができる人間ができあがってくるのでは、という点で私としては(良いか悪いかはわかりませんが)好きな教育方針ですね。
しかし、ゆとり教育は無かったなぁ。
なんか、かたっぽの人たち、子供を高く評価しすぎてた感じでしたね。
所詮、子供で、いざという時、責任取らなくて良い(これ、意外に大きいんだよね。行動する際。)わけだから、そりゃあ思い切った事できるけど、同時に暴走もするわけで。
それに、誰だ、今は受験戦争が大変だ、学歴社会だ、みたいな嘘八百並べてたのは。
まず、勉強は仕事と思ったら、そんな大変と言えるほどのものじゃない。というか、自分ひとりでやれる(商談みたく相手の思惑とか全くいらない)わけだから、自分が点数取れるよう努力するだけで良いわけでしょ。成績悪い人間は、やってないか、やり方が悪いだけで、自分が変わればよいだけ。
それに日本ほど学歴と所得格差が無い国は無い。発展途上国は言うをまたず、殆どの先進諸国よりも、所得格差が低いんですよね。(高卒と大卒で、年収で2〜3倍の開きって考えられんでしょ?)
勉強ってそんな大変(まあ、ある程度大変だとは思うが)じゃないのに、子供に迎合した人間が、そういうストレスから良い子供が育たないって言ってるけど、どこが今の子供が住みにくいっての?暇すぎて、腐敗した輩と付き合わなければいけない、という辛さはあるかもしれんけど、ゆとり教育ってそれを助長した感じがするんだよね。
世の中は競争だし、そもそも生まれたときから、差別とは言わないまでも、それぞれに色んな格差があるわけなのに、それを隠蔽してフワフワした生き方を強制する横並び主義は、何か臭いものにはフタ的な、ありのままの現実を見せてない気がします。まあ、そういった様々な主義も内包できる懐の深さが、いかにも日本なんだけど、時代と時代感覚がズレすぎな感じがしましたね。
勝ち負けとか競争なんか、いらないとか言ってたけど、あれこそ、人間性を抑制する頭でっかちの理論だけ先走った人間の言だったような。真剣に負けて涙を流すほど悔しい思いをしないと、人間は向上しようとか、本当に惚れる事もなくなるし、何より勝つことの有り難味をわからないというのに。
そりゃ、確かに辛いですよ。精神的エネルギー(ってあるの?)かなり消費しますよ。でも、そんなの、世の中に出たら当たり前にあることなんで。そんなの、経験してないで、いわゆる「純粋培養」で世界に勝てる日本人が作れるのか、というのがありましたからね。
まぁ、2年で終わって当然。まあ、「ゆとり教育」を導入したという事で文科省を批判するのは簡単だけど、まあ兎に角新しい試みが要請されてた時代でしたからね。悪く言うと、なんでも新しい考えであれば良い、みたいな。結局、教育の場はず〜っとある種、実験場という印象は否めないので、やってみないとわからない面がある以上、批判は的外れな気がします。それよりも、即座に2年で軌道修正した文部科学省の機敏さを評価するべきでしょう。
完全に穿った見方になりますが、もしかしたら一縷の望みを託していた「ゆとり教育が良い」と主張していた人に、「あいわかった。なら、試してみよう(結果はわかってるけど…)」と実際にゆとり教育を施行する事で納得させたのかもしれませんね。
こう書いてしまうと、わずか2年のゆとり教育世代は、教育の犠牲者なの?という物言いがつくかもしれませんが、それはわかりません。人間の一生なんて、最後の最後に良かったら、良しとしそうな感じだし、そもそも教育には、何がしかの思想があるわけなので、どっちがいいとか悪いとか判断できないはず。ただ、そこで、被教育者自身に判断能力・自己弁別能力が無かったり、現在の自分がちょっと調子が悪いと、ついそういった教育のせいにしたくなるのはわかりますが、安い金でこれだけの教育受けられるだけでもありがたく思わなきゃ。学校が全部、民営化したら、とてもじゃないけど、これだけの教育サービス受けるには金がかなりかかりそう。特に理系。
まあ、また、井の中の蛙的な、自分の狭い知識をひけらかして悦に入る超生意気なクソガキが一杯できそうですが、まあ、それを笑って過ごせたり、はたまたムキになって「ガキに負けてなるものか」と奮起するも、それは人それぞれならぬ大人それぞれ。でも、そういった雑事の中の底流では、子供を育んでいく気持ちがあるのが大人。それに、そういった子供も、一生そういう生き方はできないでしょうし、まあ、それを送ったら送ったで、研究者的な稀有な生き方が送れるでしょうから、色々な人間の生き方が出てくるんじゃないでしょうか。
どっちにせよ、今までみたいに「言うだけ言わせてもらうけど、自分は安全圏のカヤの外」という、無責任な生き方は少なくなりそう(だって、競争にさらされると、常に結果責任・説明責任問われますからね。ああ、世の中の人も自分と同じ境遇なんだろうな、と思うと、皆頑張ってるなあ&負けたくないなあ、という気持ちが湧いてくるんじゃないでしょうか)だし、より泣き笑いの起伏が激しい生き方を若いうちに出来そうで、幅広い人間性を持てるというか、ふてぶてしい生き方ができる人間ができあがってくるのでは、という点で私としては(良いか悪いかはわかりませんが)好きな教育方針ですね。
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