さっき帰宅しました。
 高橋さんが引退しないみたいで、本当にホッとしました。
 そして、今さっきまであった、日テレの「スーパーテレビ」の後半。(前半も良かったんですが)あれは良かった!泣けた!
 皆、一流の人たちが3人という狭い枠でしのぎを削っているわけですから、当然それぞれの人達が命がけで、ギリギリの所で頑張っているわけでしょ。
 ほんの紙一重。もしかしたら最終的には「運」ではないか、と感じるほどの肉薄。それは勝負の世界にいた人間ならば、何度か体験したことでしょう。
 なので、今回選ばれた方たちも、人並みはずれた努力の結果、選ばれたという事が伝わってきて…、泣けました。
 あと、今見たテレビ朝日の「ニュースステーション」でも、
(「”失速”高橋尚子物語」というテロップに激怒(「失速」でもなければ「物語」でもない。どちらも、現役の人間に使う言葉ではない。引退後に使うべき)したものの)少しずつ陸連が変わってきた、というコメントが出てきたのも、批判的精神を持って報道にあたった、当番組を始めとしたマスメディアの努力の結果とも言えるでしょう。いずれにしても、それぞれが、それぞれの立場で自分の信念をぶつけ、真剣に向き合う風潮に変わりつつある気がして、何かすっきりした気分になりました。

 何が腹立つかって。それは「言いたい事は言うけど、私は関係ないからね」的な自分は安全圏に居て放談だけする卑怯さ・無責任さ・身勝手さですね。子供じゃないし、無影響力ではないんだから。そうなると、それぞれが、(喧嘩するわけじゃなくて)それぞれの立場で意見をぶつけ合う。そうなりつつある風潮は、能力あるものがきちんと評価される、真の対話による相互理解を深める世の中を嘱望している私としては、好きな風潮です。

 ちなみに、もう一つ言いたい。
 それは、多分、これからは高橋さんの報道は減ってくると思います。しかし、それを「マスコミは脚光を浴びている時だけ話題に持ってきて、そうじゃなくなると、途端に話題にしなくなる」という批判は、当を得ていない、と言うこと。
 というのは、トップや代表に脚光を当てるのが勝負の世界のスジってもんだからです。トップ・勝利者だからこそ、その美酒を自分自身の達成感や、また周囲からの賛美という形で味わえるわけです。それがあるからこそ、それを得られなかったトップ以外の人は、悔しさ・歯痒さなど筆舌に尽くしがたい思いを胸にひめつつ、次なる戦いに向けて発奮すると思うからです。
 これを、「負けたけど良く頑張った」と言い続ける(勿論、一時的な慰めでは必要だと思うのですが、現役の選手に対して言い「続ける」事をさしています)のは、本質的には当人の「悔しい」「頑張らなければ」という思いを、うやむやにしてしまう危険性があるのではないでしょうか。ここで、喩えを出すと、喩えの妥当性をめぐって、反論が出てきそうなので、喩えは出すべきではないと思うのですが、なるべくわかりやすく伝える為に、喩えを出すと、「阪神が、星野前監督によってなぜ強くなったか」。
 これは、負けても負けても圧倒的ファン・タニマチがいる球団であるが故に、選手が努力しない・自己管理しない状況を監督が打破したからだと、私なんぞは思うわけでして。これは前監督が述懐なされていたわけですが、「血を流さないと強くならない」=「解雇による勝利へのハングリー精神の再喚起」をして、あの劇的な勝利に結びついたのだと思います。
やっぱ、勝負の世界にいる人間は、「月下の棋士」の将介じゃないけど、「負けて得るものは何も無い。勝ち続けて、記録出してこそ。」の精神であるのが、「勝負人」たる最低条件だと思いますんで。
 そして、そのように、一流の人たちが真剣に記録・勝利を目指しているから、感動という言葉では片付けられない人としての美しさを、見ている人間に与えてくれるわけなのですから。
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 しかし、小出監督と高橋さんのやりとりを見ましたけど、やっぱり小出監督は味があって惚れますなぁ。こんな上司がいたら、一生ついていきそうです。是非、捲土重来を。

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