ということで、私は情に厚い人間と親交するタイプなのですが、そういった友人一同は、情に厚いあまり、理を希求し角を立てるのは野暮だとする美意識が強いみたいです。それ自体は、人としての魅力の一部に繋がるものなので、むしろ良いものなのですが、それに拘泥するあまり、中々結果が良い方向に進まない人が結構います。いわば、改革断行・男性的「切断」(何?)が苦手な人間と言えるのですが、「それで自分だけバカを見るのは、若いうちだけにしとけ」と檄を飛ばしたい。だって本末転倒ですし、ベンサムではないけど、皆が好結果でないと、座の皆が手放しでは喜べないでしょ?何より、変に浮世離れした余裕をもって生きるよりも、自分の夢(て書くと聞こえがよいけど、「自分の夢」の実現ほど、強欲(悪い意味ではありません。良い意味でもないですが)なものは無いと思うんですがね)に向かってギリギリの生き方をした方が、生の実感があると思いますから。若いときのそういった実感ほど至宝なものは無いと思うわけですよ、私なんぞは。

 貧乏人なワタクシめは、資金繰りを始めとして、自分の夢等々で、強欲(少なくとも悪いニュアンスでは使ってません)極まりない生き方をしているわけですが、私自身もこれまた既述したような美意識がある人間なので、そういう言い方はできずに、「君がいないと寂しくなる」だの「君は必要な存在だ」というような、情に訴える言い方しかできない私の言い方ってどうなんでしょ?というか、もっとギラギラした生活がかかっているような、オトナの部分も見せた方が好結果に繋がるのかなぁ。
 人によって、発奮する言い方って違うと思うのですが、まだまだそれを最善に使い分ける極意を体得するほど、経験を積んでいない自分が歯痒い今日この頃…。

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