万華鏡

2004年2月15日 空蝉
 くるり くるり くるり

 幼子だった彼女は 
 万華鏡を手で動かしながら
 楽しそうに そう呟く

 望遠鏡を覗いているかのように
 高々とその筒を見上げている

 どれ ごらん

 僕は 彼女があまりにも
 楽しそうにしていたから
 夢中にしていたから
 思わず一緒に見たくなった

 だ〜め みれないもん

 万華鏡は一人だけ
 その人だけの世界

 煌びやかに姿を変える
 束の間の幻想世界

 そう それは
 心象風景のように
 他人とは共有できない
 孤独の世界

 それ故に美しい世界

 

 その頃は よもや彼女が
 こういう事になるとは
 思いもしなかった

 
 人里離れたサナトリウム
 彼女は美しい女性へと
 変わっていた

 透き通るような美しい肌は
 そのまま別空間へと通り抜けそうで
 僕はぞっとして僕の肌を見た

 僕は その世界へと誘われようもない
 血色の良い 卑俗な肌をしている
 それがかえって安堵感を引き起こす

 あはははは おじさん おじさんだぁれ

 彼女は焦点が合わず そういった後
 何も無い空を 手で舞った

 幽かに 金色の蝶がいるような気がして
 僕は 思わず首を振った

 あら おじさん おじさんも 見えるの

 僕は黙って 彼女の舞を眺める
 見続けていると 彼女自身が何か別世界の
 生物のように見えてきだす

 しかし その思いは ずっと続かなかった
 ずっと続くには 僕は年を取りすぎていた

 これ…
 おみやげ

 僕は 古ぼけた真鍮の万華鏡を彼女に差し出す
 
 彼女の喜びようは 大きくなった今でも
 昔の面影がありありと見えた

 わぁ きれい

 長い髪をなびかせて 彼女は体全体で
 喜びを表す

 その刹那 彼女はぴたりと立ち止まった

 あれっ あれっ…

 彼女の頬からぽつりぽつりと雫が流れ落ちる

 もはや声は期待できない
 あるとすれば それは 彼女のすすり泣く音
 
 ただひたすらに沈黙を保ち
 彼女は何も無い この個室のベッドに座り
 万華鏡を眺めている

 
 ただ この万華鏡だけが 彼女のこれまでの人生を
 その真実を 教え始めたのだろう

 彼女の涙はとめどなく続いている
 
 僕はゆっくりと 彼女から視線をそらす
 そしてかみしめるように目を瞑り 
 彼女と過ごした過去を思い出す

 その中では彼女は 永遠に笑っていたはずだった

 しかし 今まさに万華鏡を見ている彼女と
 私の中にあった彼女がくるくると混ざり合い
 そして 僕の中で モザイクのように
 はっきりしなくなった

 ああ どうして どうして

 万華鏡は一人だけ
 その人だけの世界

 煌びやかに姿を変える
 束の間の幻想世界

 そう それは
 心象風景のように
 他人とは共有できない
 孤独の世界

 それ故に美しい世界
 
 

 くるり くるり くるり

 伏目がちに頑丈なドアを眺めながら
 壊れた鳩時計のように
 彼女は同じ言葉を刻み続けていた

 

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