素晴らしき休日【字幕版】 :「変人」の基準(再掲030706)
2004年2月12日 映画
VHS ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2000/04/21 ¥2,980
先週のニュースをちらほら眺めていたら、
またしても衝撃の文字が。
キャサリン・ヘップバーン氏が死去していた
んですね(享年96歳)
顔は言うまでも無く、彼女の「含み」ある繊
細な演技力、華麗な生き方や愛想を嫌いながら
も非常に社交的で自分の立場を貫くといった双
方併せ持つ芯の通った自己、マスコミすら味方
になるほどのスペンサー・トレイシーとの美し
き愛、などなど彼女の生き方・演義に魅了され
た私としては、この訃報は、残念でなりません。
というか、男らしいんですよね、彼女の生き
方って。「男らしい」ってのは某フェミニズム
みたいな、単なる喧しい運動みたいなものと
誤解される(むしろ彼女の生き方は、「美」と
いう観点でその対極だと思ってます)し、「じゃあ
『女らしい』は褒め言葉ではないのか」と穿った
見方もできるので語弊なのですが、要は打算・
計算というものがなく、また、世間一般の通念
では許されざることでも、悪ぶるのでもなく
悪びれるのでもなく、自分はこういう生き方
しかできない、というある種の正直さをさして
いるのです。
代表作として、たいていの人は「若草物語」
「フィラデルフィア物語」「アフリカの女王」
「旅情」「冬のライオン」「招かれざる客」
「黄昏」等をあげられますが、私としては凡作
と評される「素晴らしき休日」をあげたい。
大学の授業でこれを見たんですが、今まで
漫然と「ああ、そういえばキャサリン・ヘップ
バーンって女優がいたなぁ、オードリーと
よく間違えられるだろうなぁ」というくらい
しか知らなかったのですが、この授業でマイナー
とされる「素晴らしき休日」を観て以来、
私の中で「ヘップバーンと言えば、キャサリン」
となったのを覚えています。
「素晴らしき休日」はマイナー、つまり
あまり市場に出回ってないらしく(今はそうでも
ないかな?)、その一回しか私は見てないのです
が、それでも大体のストーリーは覚えてます。
それほど、私にとっては鮮明な作品でした。
’38年の作品なので、展開はモデレートです
し、内容も基本はスクリューボール・コメディ
(余談だが、「素晴らしき休日」はsophisticated
ではあっても、slapstickは言い過ぎだと思う
のでscrewball comedyというのは語弊がある
と思うのは私だけだろうか・・・)とされて
いるので、 一般受けはしないかも知れませ
ん。というか、コメディーじゃないですよこ
の物語は、私に言わせると。
以前も、この講義を受けたあと、映画フリー
クと名乗る輩(失礼(笑))と、この映画につい
て3時間くらい激論を交わした(ああ、なんて
暇人だBy Yaso)覚えがあるのですが、これは
賛否両論はっきりわかれる映画ですね。しかも
どちらかというと否が多い。
で、否としてた人の評を聞いてみると、大抵は
「コメディと言っておきながら笑えない」
「ストーリーがなってない」
「だから主役がはっきりしない」
「というかリンダ(キャサリンの役どころ)は、
単に金持ちの我侭娘で、現実感覚の無い
変人ではないか」
という浅薄かつ乱暴な措定しかできない、
ア○ども(失礼(笑)それだけ仲が良かった証
ということにしといてください(苦笑))ばかり
で、こいつらが映画、もっと言うなら人生に
ついて語るとは、ちゃん(以下略)
:
:
:
はっ!( ̄□ ̄;)
取り乱しました・・・。(恥)
さて、今、上に書いた冗談は故意です。この
ような感じの手法がスラップスティックだと
思う私としては、これが皆無である「休日」
は、どう考えてもコメディとは思えないわけで
す。なので、これを「コメディ」と位置づけた
人間が悪い。なので最初の批判は、映画よりも
「コメディ」という言葉を先にして映画を観て
いるという点で、批判になっていない。
次に「ストーリーがなってない」「だから
主役がはっきりしない」というのは、私として
は同時に対応できる事柄で、その言の裏に
あるのは、「良い映画というものは主役が
はっきりしていて、主役を一貫してトレース
するものだ」という主役一辺倒の凝り固まった
映画観が表出したものだと言いたい。
そもそも舞台などが明確であるが、配役と
して主役が決まっていたとしても、場面場面
に応じて、どちらが主役になるかわからない
くらい、主脇が入れ替わることがある。
勧善懲悪ものじゃないんだから、その方が、
その作品というものに対して、より愛着という
か奥深さが湧き出てくるというもの。だから
こそ、始めは脇役というか場面にすら出てい
なかったキャサリンが最後は主役になる展開
というものがあってもいいではないか。という
か、そういう展開の作品はあまりなかったの
で、結構私にとっては新鮮だったのだ。
最後の「変人」については、最近私の某ボー
ドゲームでの戦略・戦術法を見て、某氏が私の
ことを、こう評したので、今はあまり使いたく
ない言葉なのであるが、よく、ここでのリンダ
の行動を変人・わがまま呼ばわりする人が多い。
私にとっては、こう評する人の神経を疑う
わけであるが、どうもこれが賛否両論の根本
になっているのだ。というのは、私みたいな
賛成派にとっては、リンダの行動こそが美しい
からだ。
私は個人的に、このリンダの行動をわかり
やすく説明するものとして「女性版・理由な
き反抗」としている。実際は「理由なき反抗」
は’55年と「休日」より20年近く後の作品に
なるのでこの言葉は不適切であるが、なんとい
うか、上流階級であっても、うわべだけで中身
の無い生き方をするくらいなら、いっそのこと
実のある庶民として生きることすら厭わず、
決断する勇気を持っている、そんな自分に正直
な在り方がキャサリン自身の生き方と似ていて、
それ故、役柄としてもぴったりあてはまってい
た感があったのだ。
詳しくは、これから観る人のこともあるの
で書きませんが、やっぱカッコいいんだよねぇ。
姉御肌みたいな感じかと思いきや、頭の良い女
性にはできる、
「相手の事を受容しつつも、その中にうまく自分
の考えを含ませる」
といった切り替えしを見せたりとか、とにかく
一言では表せない、深い人間性を垣間見せてく
れる俳優さんでした。
ああ、私もこれだけ人を惹き付けるような生
き方をしたいものですね。
先週のニュースをちらほら眺めていたら、
またしても衝撃の文字が。
キャサリン・ヘップバーン氏が死去していた
んですね(享年96歳)
顔は言うまでも無く、彼女の「含み」ある繊
細な演技力、華麗な生き方や愛想を嫌いながら
も非常に社交的で自分の立場を貫くといった双
方併せ持つ芯の通った自己、マスコミすら味方
になるほどのスペンサー・トレイシーとの美し
き愛、などなど彼女の生き方・演義に魅了され
た私としては、この訃報は、残念でなりません。
というか、男らしいんですよね、彼女の生き
方って。「男らしい」ってのは某フェミニズム
みたいな、単なる喧しい運動みたいなものと
誤解される(むしろ彼女の生き方は、「美」と
いう観点でその対極だと思ってます)し、「じゃあ
『女らしい』は褒め言葉ではないのか」と穿った
見方もできるので語弊なのですが、要は打算・
計算というものがなく、また、世間一般の通念
では許されざることでも、悪ぶるのでもなく
悪びれるのでもなく、自分はこういう生き方
しかできない、というある種の正直さをさして
いるのです。
代表作として、たいていの人は「若草物語」
「フィラデルフィア物語」「アフリカの女王」
「旅情」「冬のライオン」「招かれざる客」
「黄昏」等をあげられますが、私としては凡作
と評される「素晴らしき休日」をあげたい。
大学の授業でこれを見たんですが、今まで
漫然と「ああ、そういえばキャサリン・ヘップ
バーンって女優がいたなぁ、オードリーと
よく間違えられるだろうなぁ」というくらい
しか知らなかったのですが、この授業でマイナー
とされる「素晴らしき休日」を観て以来、
私の中で「ヘップバーンと言えば、キャサリン」
となったのを覚えています。
「素晴らしき休日」はマイナー、つまり
あまり市場に出回ってないらしく(今はそうでも
ないかな?)、その一回しか私は見てないのです
が、それでも大体のストーリーは覚えてます。
それほど、私にとっては鮮明な作品でした。
’38年の作品なので、展開はモデレートです
し、内容も基本はスクリューボール・コメディ
(余談だが、「素晴らしき休日」はsophisticated
ではあっても、slapstickは言い過ぎだと思う
のでscrewball comedyというのは語弊がある
と思うのは私だけだろうか・・・)とされて
いるので、 一般受けはしないかも知れませ
ん。というか、コメディーじゃないですよこ
の物語は、私に言わせると。
以前も、この講義を受けたあと、映画フリー
クと名乗る輩(失礼(笑))と、この映画につい
て3時間くらい激論を交わした(ああ、なんて
暇人だBy Yaso)覚えがあるのですが、これは
賛否両論はっきりわかれる映画ですね。しかも
どちらかというと否が多い。
で、否としてた人の評を聞いてみると、大抵は
「コメディと言っておきながら笑えない」
「ストーリーがなってない」
「だから主役がはっきりしない」
「というかリンダ(キャサリンの役どころ)は、
単に金持ちの我侭娘で、現実感覚の無い
変人ではないか」
という浅薄かつ乱暴な措定しかできない、
ア○ども(失礼(笑)それだけ仲が良かった証
ということにしといてください(苦笑))ばかり
で、こいつらが映画、もっと言うなら人生に
ついて語るとは、ちゃん(以下略)
:
:
:
はっ!( ̄□ ̄;)
取り乱しました・・・。(恥)
さて、今、上に書いた冗談は故意です。この
ような感じの手法がスラップスティックだと
思う私としては、これが皆無である「休日」
は、どう考えてもコメディとは思えないわけで
す。なので、これを「コメディ」と位置づけた
人間が悪い。なので最初の批判は、映画よりも
「コメディ」という言葉を先にして映画を観て
いるという点で、批判になっていない。
次に「ストーリーがなってない」「だから
主役がはっきりしない」というのは、私として
は同時に対応できる事柄で、その言の裏に
あるのは、「良い映画というものは主役が
はっきりしていて、主役を一貫してトレース
するものだ」という主役一辺倒の凝り固まった
映画観が表出したものだと言いたい。
そもそも舞台などが明確であるが、配役と
して主役が決まっていたとしても、場面場面
に応じて、どちらが主役になるかわからない
くらい、主脇が入れ替わることがある。
勧善懲悪ものじゃないんだから、その方が、
その作品というものに対して、より愛着という
か奥深さが湧き出てくるというもの。だから
こそ、始めは脇役というか場面にすら出てい
なかったキャサリンが最後は主役になる展開
というものがあってもいいではないか。という
か、そういう展開の作品はあまりなかったの
で、結構私にとっては新鮮だったのだ。
最後の「変人」については、最近私の某ボー
ドゲームでの戦略・戦術法を見て、某氏が私の
ことを、こう評したので、今はあまり使いたく
ない言葉なのであるが、よく、ここでのリンダ
の行動を変人・わがまま呼ばわりする人が多い。
私にとっては、こう評する人の神経を疑う
わけであるが、どうもこれが賛否両論の根本
になっているのだ。というのは、私みたいな
賛成派にとっては、リンダの行動こそが美しい
からだ。
私は個人的に、このリンダの行動をわかり
やすく説明するものとして「女性版・理由な
き反抗」としている。実際は「理由なき反抗」
は’55年と「休日」より20年近く後の作品に
なるのでこの言葉は不適切であるが、なんとい
うか、上流階級であっても、うわべだけで中身
の無い生き方をするくらいなら、いっそのこと
実のある庶民として生きることすら厭わず、
決断する勇気を持っている、そんな自分に正直
な在り方がキャサリン自身の生き方と似ていて、
それ故、役柄としてもぴったりあてはまってい
た感があったのだ。
詳しくは、これから観る人のこともあるの
で書きませんが、やっぱカッコいいんだよねぇ。
姉御肌みたいな感じかと思いきや、頭の良い女
性にはできる、
「相手の事を受容しつつも、その中にうまく自分
の考えを含ませる」
といった切り替えしを見せたりとか、とにかく
一言では表せない、深い人間性を垣間見せてく
れる俳優さんでした。
ああ、私もこれだけ人を惹き付けるような生
き方をしたいものですね。
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