言質至らしめる剽窃14
2004年1月15日 端倪すべき夢幻能 いかりや組の人間なら、指し手から私が、どういう
人間かお分かりだとは思うのですが、私が物事を覚え
る場合、人から教えられるより、遠巻きに上手い人の
所作を見て、自分なりに加工して(また、時には完全
に独力で)体得することが殆どです。
なので、大抵見てくれは、(普段見慣れていないと
いうこともあってか)、奇怪・変と思われることもし
ばしばありますが、「我流」という響きに憧れる私と
しては、どうしても自然と自分のオリジナルスタイル
(←モノはいいよう(自嘲気味))を確立したがります。
あと、生来の天邪鬼なので、余程、教え方が上手い
人でないと&言葉で正確に説明してもらえないと立往
生したり、一貫性が無いと混乱したり、叱られたら落
ち込んだり等々の理由でついていけない、という笑え
ない欠点もあるからでしょうか。
ということで、私自身がそれほど明るくない何事に
つけても、「あんたのそれ、なんかヘンなんだけど、
まあ結果が良いからいいか。(いいのか?)」という
相手も甲乙つけ難い微妙な評価が多いわけです。
ということで、今日も久々にビリヤードだのボーリ
ングだのを、やってきたわけですが、相変わらずの我
流で上手い人には笑われ、矯正させてもらうべく指導
されたのですが、それだとかえって悪くなり、「やっぱ
自分のやり方でいいや〜」と居直り、再スタートする
と、一番良い結果が得られる、という、私にとってい
つもの図式で納まったわけです。
つまりは、型をきちんとやり、理を希求される某男
爵や上述のごとく上手い人間は、一刀流的な普遍性・
体系性を事物に求めるのに対し、私は、宮本武蔵のよ
うな、型にこだわらず自分を希求する求道性を事物に
求める、ということだな、川添君。
いや、ということにしといてくれ。
うん、ということにしておこう。
だってね〜、結局、「ダメそう」と思ったときは、
ダメになって、「いけそう」と思った時は、成功する
ものでしょ?それに最近は、勝っても負けても、どっ
ちでもいいや、雰囲気が楽しければ、というネタに走
る場合もあるので、それなら変な型でもいいやん、と
思うわけですな。
ということで、今年も「月下変人」を座右の銘にし
て邁進してゆく所存であります。
人間かお分かりだとは思うのですが、私が物事を覚え
る場合、人から教えられるより、遠巻きに上手い人の
所作を見て、自分なりに加工して(また、時には完全
に独力で)体得することが殆どです。
なので、大抵見てくれは、(普段見慣れていないと
いうこともあってか)、奇怪・変と思われることもし
ばしばありますが、「我流」という響きに憧れる私と
しては、どうしても自然と自分のオリジナルスタイル
(←モノはいいよう(自嘲気味))を確立したがります。
あと、生来の天邪鬼なので、余程、教え方が上手い
人でないと&言葉で正確に説明してもらえないと立往
生したり、一貫性が無いと混乱したり、叱られたら落
ち込んだり等々の理由でついていけない、という笑え
ない欠点もあるからでしょうか。
ということで、私自身がそれほど明るくない何事に
つけても、「あんたのそれ、なんかヘンなんだけど、
まあ結果が良いからいいか。(いいのか?)」という
相手も甲乙つけ難い微妙な評価が多いわけです。
ということで、今日も久々にビリヤードだのボーリ
ングだのを、やってきたわけですが、相変わらずの我
流で上手い人には笑われ、矯正させてもらうべく指導
されたのですが、それだとかえって悪くなり、「やっぱ
自分のやり方でいいや〜」と居直り、再スタートする
と、一番良い結果が得られる、という、私にとってい
つもの図式で納まったわけです。
つまりは、型をきちんとやり、理を希求される某男
爵や上述のごとく上手い人間は、一刀流的な普遍性・
体系性を事物に求めるのに対し、私は、宮本武蔵のよ
うな、型にこだわらず自分を希求する求道性を事物に
求める、ということだな、川添君。
いや、ということにしといてくれ。
うん、ということにしておこう。
だってね〜、結局、「ダメそう」と思ったときは、
ダメになって、「いけそう」と思った時は、成功する
ものでしょ?それに最近は、勝っても負けても、どっ
ちでもいいや、雰囲気が楽しければ、というネタに走
る場合もあるので、それなら変な型でもいいやん、と
思うわけですな。
ということで、今年も「月下変人」を座右の銘にし
て邁進してゆく所存であります。
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